踊る

mudan tensai genkin desu -yuki

大陸全土に広がるディテル信仰。その内容は、しかし実際のところ辺境に行けば行くほどまちまちであったりする。
神の名こそ同じであっても、土地に浸透した教えは共通ではあり得ない。
それには神代に端を発する或る事情が関係しているのだが、あまりにも信じられている教えが異なると、さすがのレアリアであっても唖然としてしまうらしい。
とある山際の村で若い娘の治療に携わった彼女は、一通りの事情を聞いて絶句しているようだった。
隣に立っているアージェが、寝台に座る娘へと確認する。
「それで、三年に一度生贄を出さないといけないわけか」
「生贄というか……若い娘がディテル神の使いに踊りを捧げるというだけです」
「でも帰ってこられないんだろ。そういうのを生贄って言うんだよ」
聞いた話に簡潔な結論で返すと、娘は改めて涙を零す。
小さな部屋に漂う諦観は、この村にとっては何百年も続くものであるのだろう。娘の隣に座る母親が、おずおずと切り出した。
「それであの、娘の足の怪我は……」
「治しました。元の通り歩けるはずです」
レアリアが答えると、母親は顔を覆ってわっと泣き出す。
ここで怪我が治らなければ、生贄は別の娘が選びなおされたに違いない。
そのような事情を知らず村長から治療を頼まれたレアリアは、魔法の対価としてはあんまりな反応に、 しかし怒るわけでもなくアージェを困ったように見上げた。 彼は身を屈めて彼女に問う。
「どういうことだと思う?」
「誘拐か……でも何百年ってことになると、魔族が関わっているのだと思う。ディテル神の名を騙っているんでしょう」
「なるほど」
かつて神の代理人と呼ばれた彼女は、この村を永らく支配してきた風習に苦い思いが隠せないらしい。
美しい顔が歪むのを見て、アージェは軽く頷いた。
「じゃあそれ、俺が殺してくる」
「アージェ!」
「大丈夫です。山の神殿とやらに行けばいいんだろ?」
彼の問いは村の母娘に対してのものである。
しかし二人は顔を見合わせると、遠慮がちにかぶりを振った。
「それは無理だと思います……。踊りを捧げなければ神の使いは現れないと言われていますので」
「じゃ、捧げないで無視したら?」
「村に大雨が降ります。過去それで多くの人死にが出たそうです」
「回りくどいな」
姿を現して村に報復に来てくれれば反撃しやすいのだが、どうやらそうではないらしい。
逆に言えばそうして姿を見せずにいたことこそが、結果として神の使いであるという信憑性を高めてきたのだろう。
どうすれば相手の尻尾を掴めるか腕組みして考えるアージェの隣で、レアリアが小さく頷いた。寝台の娘に向かって告げる。
「では、私が代わります」
「レア!?」
「え……?」
「代わります。私たちが必ず、この風習を終わらせてきます」
きっぱりと言い切る女の顔は、かつても見た揺ぎ無い意志を示すものだ。
アージェは彼女の横顔に瞬間懐かしい思いを抱くと、遅れてそっと苦笑した。



山の中にある神殿は、神殿というよりは床と柱だけのこじんまりとしたものだった。
手入れだけはまめにされているらしく、綺麗に掃き清められている白い石床を、アージェは眺め回す。
彼と共に村から来た楽師の男が、不安を目に青年を見上げた。
「本当にこのまま始める気かい? よその村の為に命をかけるなんて……」
「別に大したことでもないだろ。放置しとけば気分が悪い」
元より彼は一人でも赴くつもりはあったが、レアリアが決めたことなら異論があるはずもない。
それよりも彼女は果たして踊れるのかどうか、アージェはそんな心配をひっそり抱いた。
楽師の溜息が床の上に落ちる。
「君たちのように魔族の仕業だとして討伐に来てくれた人間も、今までまったくいなかったわけじゃない。
 ただそのうちの誰一人として帰っては来なかった。……天候を操れる魔族など尋常な力の持ち主じゃないんだ。
 逆らおうなどと思わない方がいい。そうすれば犠牲も少なくて済む」
「と言われてもな。現状に甘んじられるような性格なら、俺たちこういう旅はしてなかったわけだし」
変えがたいものを変えてきた。
それが、否定することも忘れることも出来ない彼らの前歴だ。
ならばこうして別の呪縛に出会った今、見て見ぬ振りをして立ち去るなどという選択肢は最初から存在しない。
当然の決定。当然の末路。
腰の長剣を確かめる青年に、楽師の男は憐れむような目を向ける。
「君は彼女を止めたりはしないのかい? 恋人なんだろう?」
「止めないし別に恋人じゃない」
背後から草を踏む足音が聞こえる。
振り返るとそこには、踊り手の衣装を着て小道を登ってくるレアリアの姿が見えた。
しきたり通り村の女に付き添われて歩いてくる彼女。決然として冴えきったその表情にアージェは目を細める。
身一つで挑む女の鮮烈さ。何枚も重ねられた白い薄絹が、淡紫の皇衣を思い出させた。
近づく距離に、遠い時間が重なり流れる。
「──── 俺は剣だ」
彼女を守り、その意志を遂行する為の剣。
寄り添って終わりまでを共にする彼は、彼女の恋人ではあり得ないだろう。騎士でもない。きっと何者でもない。
だから彼女に向ける感情もまた、単なる忠誠でも愛情でもない。
言葉になるようなものではないのだ。ただその存在を唯一として護る。己が命を賭して支える。
かつてそうして、意味を消された単語が一人の楔を繋いだように。



小さな足が神殿の白い床を踏む。裸足になった彼女を、アージェは微笑して迎えた。
「その衣装似合う」
「そ、そう? 風通しがよくて落ち着かない……」
「寒い?」
山の空気から庇うように彼女を腕の中に収めると、レアリアはびくりと震えた。しかしすぐに深い吐息が続く。
背に回される手。細い指が彼の服をきつく掴んだ。静かな声が二人の間に落ちる。
「アージェ、無理そうだったら逃げてね」
「平気。何だって捌いてやる」
──── たとえそれが、神であっても。


レアリアはふっと微笑む気配と共に、彼を抱いていた手を解いた。一人床の中央に向かって歩き出す。
しなやかに伸びた背には何の恐怖も見えない。彼女はいつでもそうして、自分の選んだ道を同じように進んでいくのだろう。
時は夕暮れに差し掛かり、空は紫に染まっていく。
楽師の指が五弦を爪弾く。何処か物悲しい旋律が流れ出し、レアリアが細い腕を上げた。
神殿の床から下りた青年は、ゆったりと舞い始める女を見つめる。
誰も何も言わない。神に捧げる言葉はない。
女の足が薄絹を蹴って踏み出す。暗い森の緑に金の髪が映える。
妖艶に、無垢に、祈るように、無心に、踊る女。
自由とは言いがたいその姿は、だが何にもかえて美しかった。
精巧な人形を思わせる女は、操り糸を巻き取っていくかのように舞い続ける。 白い舞布が夕暮れの森に鮮やかな弧を描いた。
静謐な空気。夜の闇が足音もなく近づいてくる。そうしてついに、弦の音がやむ。
どれ程の時間が経ったのか、顔を上げた彼女の前にはいつしか一人の男が立っていた。
人ならざる緑色の髪をした男は、踊りをやめたレアリアへと手を伸ばす。
娘の命を飲み干さんとする人外の手。彼女に見入り、その頬に触れようとした手は、しかし音もなく宙に舞った。
「触るな」
肘先から切断され、黒い靄となって消えていく腕。魔族の男は驚愕に口を開く。
しかしそこから洩れる言葉さえアージェは許さなかった。続く一閃が、男の体を斜めに斬り下ろす。
敵を排し、殺す為の刃。彼が振るう剣はその極みを体現した一つだ。
断末魔の声もなく、男は靄となって四散する。
後には何も残らない。剣を払い鞘に収めるアージェを、レアリアは微笑して見上げた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
彼は乱れた金糸の髪を手で撫でると、その上に口付けた。

神を否定した二人の旅路は、緩やかに蛇行して続いていく。
その途上で何が終わり何が残るのか。それは歴史の表にのぼらぬ、ささやかな断片であるのだ。



「あの衣装似合ってましたね。記念に貰えばよかった」
「でもあれ、一人じゃ着られないのよ」
「俺が手伝うから大丈夫」
「そう? ……あれ? え?」