暖める

mudan tensai genkin desu -yuki

小さな集落から集落へと旅する道程において、アージェは基本野営しないことを旨としている。
一人傭兵をしていた頃にはなんでもなかったことも、共に旅する女性にとっては苦になるかもしれない。
かつて彼の主人であった女は、その身分を失った今でも、彼にとって高貴な人間であることに変わりがないのだ。
アージェはその為、些細なことで彼女に苦労をかけることがないよう、細かい注意を払って予定を組んでいた。
―――― しかしそうは言っても、いたしかたない事情により、野営をせざるを得ない状況というものは回ってくる。
その日、突然の土砂崩れによって道を迂回をすることになった二人は、細い道から少し入った森で夜を明かすための準備をしていた。

日が落ちてしばらく経った周囲は、既にとっぷりと暗くなっている。
レアリアの作る魔法の明かりがなければ、迂闊に動くことも出来ないだろう。
小さな空き地を見つけて手際よく火を起こすアージェを、明かりをかざしたレアリアは尊敬の目で見つめる。
「アージェ、すごい。何かわくわくするわ」
「……そうですか」
おそらく外で寝泊りしたことなど一度もないのだろう彼女は、手伝うことがあれば手を出そうとしているらしい。先ほどから彼の周囲をうろうろしている。だがアージェは、下手に手を出されて怪我でもされては困ると、期待のまなざしに背を向け続けていた。
彼は落ち葉の積もる地面を調べて危険なものがないことを確認すると、荷物の中から厚布を数枚取り出す。
その中の一枚を敷布として火の前に置き、レアリアに向かって指し示した。
「そこに座ってて」
「それだけ? 他には?」
「じゃあ、結界でも張っといて」
「分かった」
動物や魔物の中には火を嫌がるものもいるが、逆に火を焚いていることによって近づいてくるものもいる。
そのような存在に煩わされることがないよう、レアリアは周囲に防御結界を張る詠唱を始めた。
アージェはそれを聞きながら、簡単な食事の準備をする。皮袋から鉄器に水を注いだところで、レアリアが寄ってきた。
「私が作るわ」
「お湯沸かして温めるだけだから」
「その赤い小瓶は入れないで。お願い」
「あったまるんだけど」
「お願い!」
「…………」
彼女と旅をすることにさしたる苦労は感じないのだが、好みの味覚を制限されている気もする。
料理の仕度をレアリアに明け渡したアージェは、何処か楽しげな彼女の様子を見ながら寝る為の場所を整えた。
耳を澄ませると聞こえる虫の声。葉々の隙間から見える夜空は、黒に限りなく近い青だ。
かつて傭兵として諸国を渡り歩いていた頃には見慣れていた景色に、アージェは思わず苦笑する。
あの頃にはまさかこの風景を彼女と共に見るようになるとは思ってもみなかった。人生先が読めないとはよく言ったものだろう。
そうして腰を下ろして空を見上げていると、よい香りのするスープが差し出された。
「アージェ、食べましょう」
「ん。ありがとう」
赤い焚き火に照らし出される女の顔は、まるで何も知らない少女のように見える。
―――― 彼女はこの贖罪の旅で、少しずつ「自分」を生き直している。
そんな考えが、瞬間アージェの脳裏に浮かんだ。



「火を消して大丈夫なの?」
「結界があるから平気。その代わり冷えるからあったかくして」
敷布の上へ横になった女へと、アージェは更に厚布を二枚かける。自分は剣を脇にその隣へ座った。
レアリアは心配そうな顔で青年を見上げる。
「アージェは?」
「番してるよ」
「結界があるから平気なんでしょう? それにそのままじゃ寒いわ」
「酒飲んでるから大丈夫」
普段はほとんど酒を飲むことはないが、こういう時の為に多少は持ち歩いている。
レアリアはしかし、それを聞いても引き下がらなかった。掛布の下から手を伸ばしてアージェの裾を引く。
「一緒に眠ればいいわ」
「……それは嫌がらせですか」
「??」
波打つ金の髪は、僅かな月光も引き寄せて淡く光っていた。アージェはその髪を撫でつつ何もない闇を見つめる。
何処までも広がる黒。それは彼にとって馴染みの深い色だ。
今はもういない、だがかつて誰よりも彼の近くにいた女の存在が、記憶の底から蘇った。
懐かしいその声が聞こえる気がする。
(アージェ)
思い出せる言葉はそう多くない。
だが忘れることは、出来なかった。



闇は深い。光は僅かだ。
彼は目を閉じて過去を想起する。
白い指先がそっと足に触れ、温もりを伝えた。
「アージェ」
「うん」
「冷えるわ」
「飲む?」
本当はレアリアに酒を飲ませると面倒なことになるので避けたいのだが、すぐに寝てしまうのなら問題はないだろう。
しかし彼女はかぶりを振って体を起こした。小さな手が彼を手招く。
「こっち」
「何」
「来なさい」
「…………」
彼女の命令口調に未だ圧力を覚えるのは、身に染み付いた習慣のようなものだろう。
だがたまにしか発せられぬそれは、不快なものでは特になかった。アージェは彼女の傍に身を寄せる。
「なんだよ」
「こうすれば暖かいから」
掛けられていた厚布をアージェの背に掛けなおしたレアリアは、自分は身を捩って彼の足の間に収まる。
そうして布の両端を巻き込んで丸くなった彼女は、アージェに寄りかかって美しい笑顔を見せた。
「一緒に眠ればいいわ」
「……え、ほんとに?」
「おやすみなさい」
安堵の表情で目を閉じる女を、青年は何とも言えない表情で見下ろす。呆然とした気分から抜け出すと、口の中で小さく呟いた。
「何だこれ。いやがらせか?」
―――― やっぱり酒を飲まなければよかったと、後悔しながらの夜明かし。
暖かくはあったが眠れない時間は、アージェが色々諦めて朝になるまで続いたのだった。