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mudan tensai genkin desu -yuki

小さな家は、平凡な木のテーブル一つとっても住人の温かみが感じられるものだった。
毎日よく手入れされているのだろう。細かい傷には補修が為され、天板は艶が出るほど丁寧に磨かれている。
ケグスが感心の目で傷の一つをなぞると、赤子を寝かしてきた女は苦笑した。
「子供がすぐに傷つけてしまって」
「気にすることじゃない。元気がいい証拠だろう」
ありきたりな言葉を口にすると、彼女は口元を上げて微笑んだ。
気品の残る美しい容貌。まだ若い母親はケグスの対面に座する。
「すみません、明日になれば夫も帰ってくると思いますので」
「別に謝ることはないさ。こっちが急に来たんだ。適当に宿を取って待ってる」
「戻ってきたら向かわせます」
女がそう言うと同時に、部屋の扉が開いた。
「おかあさん!」
外で遊んでいたのだろう、泥だらけの小さな男の子が駆け込んでくる。
母親に飛びつこうとしかけた子供は、けれど来客に気づいて立ち止まった。怪訝そうな我が子を、女は芯のある優しい声で嗜める。
「ちゃんとご挨拶して、それから手を洗ってきなさい」
「うん。こんにちは!」
「こんにちは」
子供に合わせて丁寧な言葉で挨拶すると、男の子は笑って身を翻した。
溌剌と跳ねて消えていく子供。手を洗う為に男の子が部屋を出て行くと、母親は微苦笑する。ケグスは閉められたばかりの扉を見たまま言った。
「いい子だな」
あっさりとした言葉は、彼にとっては最高の賛辞だ。
女にもそれが分かったのか、照れたように微笑む。しかしすぐに蒼い瞳が翳って伏せられた。
「……あなたは、色々私に言いたいこともあったのだと思います」
磨かれたテーブルに落ちる言葉は、贖罪に似た響きを持っていた。
ケグスは苦笑してかぶりを振る。
「所詮俺は外野だ。何を思ったとしても無責任な感想でしかない」
「それでも、あの人を巻き込んだ私のやりようは誉められたものではありませんでした」
彼女の目は、何処か遠くを見るように窓の外に向けられた。
のどかな町の風景。平穏そのものの光景に、けれどケグスは今ではない時を思い返す。彼は息を吐くように分かりきったことを口にした。
「十全なんてものは、はなから存在しない。今更言っても仕方がないさ」
彼としては、本当にそう思っている。過去を振り返り悔いていても何も生まないのだと。
生者には生者の道がある―――― 諦観とは異なる彼の考えに、彼女は淋しげに微笑む。
母親となった今でも浮世離れした雰囲気を持つ女、レアリアは、そうして「ありがとうございます」と呟いた。



森の中の小さな国は、宿屋の数もそう多くない。
ケグスは母子の家を辞すと、そのうちの一つに部屋を取った。夜まで少し眠り、日が落ちてから宿の食堂へと向かう。
そこには同じく余所者らしい男が二人、隅で話をしながら食事を取っていた。
ケグスは男たちから一つ離れたテーブルにつく。それは半ば勘によっての行動で、一人己の嗅覚を以って生き抜いてきた彼が、男たちの様子に不審を覚えたからだった。
ひそひそと聞こえる声に、ケグスはそっと耳をそばだてる。
「……だから、そんな不確かな話、誰が乗るっていうんだ」
「お前も見れば分かる。ありゃあ絶対貴族出の女だ。平民みたいな暮らしをしてるが、培った気配ってものは消せねえ」
「だがよ、そんな女がなんでこんな国で暮らしてるんだ」
「駆け落ちでもしたんだろうよ。ガキが二人いる。元の家に連れ戻せば礼金が貰えるぞ」
息荒く誘う男とは反対に、もう一人の男は子供の話を聞いて難色を示した。
「連れ戻すったって子供はどうするんだ」
「どうにでもなるだろ。どうせろくでもない男との子だ。始末しろっていうならするだけさ」
「けどそりゃ……」
あまりといえばあまりな言い草。言葉を失くしての嘆息に、話を持ちかけた男の方は舌打ちした。
「やらないなら別にいい。俺一人でも構わねえよ」
椅子を引く音。男は立ち上がり、食堂を出て行こうとした。ケグスはそこでようやく顔を上げる。
「おい」
「ん? なんだ、お前」
「今の話に興味がある。詳しく聞かせてくれ」
呆気に取られる二人の男に、彼は不敵に笑って見せた。



城都と言っても単なる田舎町であるここは、少し森に寄れば月光以外の明かりは存在しない。
宿屋の裏もその為すっかり夜の闇に覆われており、地面に伏して呻く男をすっかり人目から覆い隠していた。
ケグスは男の上に乾いた声をかける。
「彼女に帰る家はない。誰に探されてもいない。お前たちが何をしようとも無駄骨になるだけだ」
「て、てめえ……」
「これはどっちかっていうと忠告だ。―――― あいつに知れたらまず間違いなくお前たちは殺されるだろうからな。
 関わっていいことはない。痛い目見て理解出来るうちに手を引いとけ」
抵抗したせいで右腕に酷い怪我を負った男は、息も絶え絶えにケグスを見上げる。
乏しい光のせいでただの影にしか見えない彼は、隣でへたり込んでいるもう一人の男にも念を押した。
「第一彼女の夫は王のお気に入りだ。何かしようものなら、お前たちの死体は跡形もなく処分されるだろうよ。何人いてもな」
重ねて釘を刺すと、男は首を激しく上下させる。
ケグスは改めて二人の気が挫かれていることを確認すると、あっさりとその場を後にした。血に汚れた短剣を布で拭う。
空に近い山上の国で、彼は深い夜空を仰いだ。
「お節介にも程があるな、俺も……」
もし先程の男たちがレアリアを攫いに行ったとしても、今の彼女は魔法士だ。大人しく連れ去られたりはしないだろう。
それでも、寄り添って眠る母子の安息が乱されなければいいと、ケグスは願う。
新しい時を匂わせる夜。彼は鈍い光を放つ短剣を、そっと懐にしまった。



「何だ、来てたんだ。言ってくれれば仕事断ってたのに」
「そんなことで断るな。でも家も空けるな」
「ん。分かった。ありがとう。とりあえずテーブル直すか」
「お前、本当マメだな……」
「こういう作業結構好きだ」