落とす

mudan tensai genkin desu -yuki

似ていない兄妹だと思った。
血が繋がっていないのだから当然のことだろう。そう思いながらも彼は後に「やっぱり似ている」と思った。
それは、少女らしい感傷を核としているように見えた彼女が、意外と図太い芯を持っていることに気づいたからかもしれない。



ケレスメンティア崩壊から二年間は、あっという間に過ぎ去った。
大陸全土を揺るがす皇国の滅亡。この一件において出た死者は他の戦争と比べてみれば多くなかったものの、大陸の歴史においては間違いなく史上最大の出来事であっただろう。多数の人間がその後の人生において転回を余儀なくされ、それは身分の上下に関係なく訪れた。
ケレスメンティアでは指折りの名家の次期当主であったエヴェンもまた、環境が激変したうちの一人である。
国の崩壊後に家を出た彼は、今は短期契約の雇われ騎士として他国を気ままに巡っていた。
そして仕事の切れ目にふらりと戻ってきては、彼女を訪ねるのだ。
「あの、家には帰らなくていいんですか?」
「いいのいいの」
クラリベルの手から書簡の束を受け取ったエヴェンは、それらの差出人にざっと目を通す。
全部で七通あるそれらは六通までが仕事絡みのもので、残りの一通には差出人表記がなかった。
それが誰からのものか分かっているエヴェンは、含み笑いをしながら全部の手紙を懐にねじ込む。代わりに荷物の中から真珠細工の首飾りを包んだものを出すと、それをクラリベルに手渡した。
「はい、お土産」
「あ、ありがとうございます」
恐縮して受け取った少女は、けれどすぐに心配そうな目で男を見上げた。
「でもいいんですよ。気を使ったりしなくて」
「気を使ってるわけじゃないさ」
小間使いとしてある老婦人の屋敷に勤める彼女の部屋には、今までに男から送られた土産物がきちんと整理して飾られている。
けれどそれらは、装飾品なども含めて本当にただ「取っておかれているだけ」だ。エヴェンは微笑して付け足す。
「欲しいものがあるなら遠慮なく言えばいい。次はそれを買ってくるから。ちょっとした礼だ」
男の提案に、クラリベルは曖昧に微笑む。
十七歳になった彼女はそうしていつもと同じように、何もねだりはしなかった。

これまでの二年間、エヴェンはクラリベルを守って剣を振るったこともあった。
何しろ彼女の兄は、女皇を篭絡し国を滅ぼしたとされるディアドだ。
混乱の中、狂信者たちは憎悪の矛先を向ける相手を探し、彼女がその標的になったこともあった。
それが今まで無事で済んでいるのは、エヴェンが彼女を守りつつ適切な保護を手配した為だろう。
クラリベルはその事を深く感謝してきたが、彼自身は何でもないことだと思っている。
「あいつと約束したしな」
「何をですか?」
「何でもないよ」
少女は不思議そうに首を傾げる。
しかしクラリベルはすぐに我に返ると、お茶を淹れる為に部屋を出て行った。その後姿をエヴェンは視界の隅で見送る。

いつも彼女に聞かれることだが、エヴェンが家に帰ることはほとんどない。
向こうもそれを必要とはしていないだろう。彼は家に残された幾許かの財産を、何一つ受け取らない代わりに自由を得た。
こんな日が来るとは、自分でも思ってもみなかったのだ。
生まれながら厳しく道を定められてきたエヴェンは、自身がそこから抜け出せるとは思っていなかった。
おそらく彼の主君もそうだったのだろう。
そうやって積み重ねられてきた諦観を全て無視して、彼女を連れて行った青年のことをエヴェンは思い出す。
―――― その道筋に僅かでも幸福があればいいと願った。



「今度は何処の国に行っていたんですか?」
クラリベルの声は、お茶の香と共に心地よく彼の中に染み入った。
押し付けるところのないその場に置くだけの問い。
エヴェンはここ三ヶ月間のことを振り返る。問題のありそうな部分を省いて一つ一つ口にした。
「護衛の仕事がやっぱ多かったな。楽だけど肩が凝るよ」
「動きがある方がいいですか?」
「ほどほどなら」
穏やかな空気は、時間の流れさえも緩やかに変えていく気がする。
心地よい相槌にほっとする。出過ぎず引き過ぎないクラリベルの存在は、彼に束の間の安息をもたらした。
家族がいるという空気はこのようなものなのだろうか。彼女がそこにいるという当然が、小さな空間をそっと支えている。
話の切れ目が訪れると、エヴェンはテーブルに頬杖をついてじっと少女を眺めた。クラリベルは不思議そうにまばたきする。
「どうかしたんですか?」
「いや。ここは落ち着くなと思って」
「お疲れなんですよ、きっと」
さらりと返した少女は、男が笑い出すと目を丸くした。
「どうかしました?」
「いや、別に」
こういう鈍感に似た無関心さは、彼女の兄であった青年とよく似ている。
しかしだからこそ、彼女といる時間は気取らずにいられるのかもしれない。エヴェンは温かいお茶を飲み干す。
クラリベルはそんな男を不思議そうに見上げた。






いつまでも彼女はそのままなのだろうと思っていた。
自分を待っていてくれるなどと思っていたわけではない。ただ彼女のいる場所に帰って、話をする時間が当然と思っていた。
―――― それが自分だけの当然でしかなかったと、エヴェンが知ったのは更に一年後のことだ。
いつものように仕事を終えた彼はクラリベルを訪ねる。
艶のある金髪を一つにまとめた少女は、ひとしきり彼の話を聞くと思い出したかのように微笑んだ。
「そういえば私、この屋敷を出ることにしたんです」
「え?」
「そろそろ父のいる村の近くに戻ろうかと思いまして。今まで本当にありがとうございました。
 あ、エヴェンさんの手紙はちゃんと奥様が預かってくださるそうですので」
屋敷の主人でもある老婦人を挙げてそう言う彼女に、エヴェンは呆気に取られてしまった。 自分が何に驚いているのかよく分からぬまま腰を浮かす。
「いや、手紙はどうでもいいんだけど。村に帰る?」
「村の近くの街で働こうかと思います。奥様のご紹介も頂けましたから、来月にはあちらに移りますね。
 エヴェンさんとも最後に直接ご挨拶出来てよかったです」
そう言ってぺこりと頭を下げるクラリベルからは邪気の欠片も感じない。
別段当たり前のことだろう。エヴェンもまさか一生彼女に恩を着せるつもりなどなかった。ただ驚いているだけだ。
彼は自分の様子に気づいて少しだけ冷静になると、椅子に座りなおす。
「あ、っと。じゃあ今度はそっちに行くようにするよ」
「え。いいですよ、そんな。田舎で大変ですし」
「いや、大変じゃないから」
―――― 彼女の兄に頼まれたのだ。はい、そうですかと言って義務を放棄は出来ない。
エヴェンは驚きから己を立て直すと秀麗な顔に微笑を乗せた。そうして散々流してきた浮名を自覚しながら付け加える。
「君が心配だし。会いに行くよ」
「いえ、子供じゃないですし、もういいです」
「…………」
ばっさりと笑顔での返答。
そのことに衝撃を受けるエヴェンは、衝撃を受けているということ自体に更に衝撃を受けて押し黙る。
そうしている間にも、クラリベルはまったく裏のない鉄壁で別れの挨拶を続けた。



「……あの兄妹、実はかなり似てるだろ……」
何を言っても効果を得られず屋敷を辞したエヴェンは、暗い帰り道を歩きながらぽつりと呟く。そして気づいた。
「―――― え、ってか、俺、振られてないか?」
十歳近く年下とは言え、それなりに付き合いのある少女から一顧だにされなかったという事実。
それは彼の誇りを僅かながら傾かせ、エヴェンは思わず言葉にならない唸り声を上げてしまったのだった。