縋り付く

mudan tensai genkin desu -yuki

彼女と旅をするにあたって、割り切ったことはいくらでもある。
人の目を常に気にすることや、大きな街には立ち入らないこと。それは一生を通じて日陰を歩く身としては、当然のことだろう。
だが他にもアージェは、「レアリアに見返りを求めない」ということを割り切るようにしていた。
彼女に何かをしてもらいたくて共にいるわけではない。それを求めるような真似をすれば、過去の選択までもが変質してしまう気がする。
だからアージェは、色々思うところがありつつも、自分の立ち位置についてはすっぱりと割り切っていた。
―――― 割り切っていても漏れ出してしまうものがあるのは、仕方のないことなのかもしれない。



「レア」
その日彼女を迎えに行った先は村長の家だった。
村でもっとも大きな家。田舎とはいえ権力者は権力者なのだろう。
幸い村長の人格は温和で、だからアージェも彼女が治療の仕事にかかる間、別の仕事に離れていたのだ。
一足先にその仕事を終えたアージェは、彼女がいるという部屋の扉を開けながら名を呼ぶ。
そして目にした光景に沈黙した。
素朴な応接間にて見知らぬ若い男と談笑している彼女。アージェよりも年上に見える男は、恵まれて育った人間によく見られる柔らかい物腰を持っていた。
何の話をしているのかは聞こえない。
ただアージェが無言になったのは、男の手がレアリアの頭を撫でているのが見えたからだ。
彼女は少し困ったような気配を漂わせながらも、微笑して男を見上げている。
アージェは自分の表情が冷え固まるのを自覚した。
「レア」
もう一度名を呼ぶと、彼女はようやく迎えが来たことに気づいたらしい。男に会釈するとアージェの元に駆け寄ってきた。花が綻ぶような笑顔で彼を見上げる。
「アージェ。……どうしたの?」
「どうもしませんよ」
「本当?」
「本当」
頷いた後の空気は妙に重かった。


宿へと帰る道は既に半ば黄昏の中にあった。
夕食時とあって、あちこちの家から食事のよい香りが漂ってくる。
人気の少ない道は剥き出しの土が踏み固められたものであり、その上を二人は言葉少なに歩いていた。
沈黙が多いのはアージェが重い空気を発生させている為で、だがレアリアがその原因を分かっていない為、緩和されようがない。
しかし彼女も何とかしたいとは思っているのだろう。レアリアは横から彼の顔を覗きこむ。
「アージェ、あの、ひょっとして怒ってる?」
「別に怒ってない」
それは嘘ではない。怒っているわけではないのだ。ただ苛立ちが内心を焼いて仕方ない。
この感情は何処から来るのか、気だるい気分で青年はこめかみを押さえた。レアリアの不安げな顔が視界に入る。
今は青い瞳。けれどその時、彼女の双眸は微かに翳って青紫に見えた。
「……そうか」
「アージェ?」
村の真ん中で突如足を止めた彼を、レアリアは不思議そうに見上げる。
「さっきの男、何者?」
「さっきの? ああ、村長の人の甥ですって。昨日帰ってきたばかりだっていうから」
「楽しそうに話してたな」
「話は面白かったけど、別に……あの、どうしたの?」
困惑顔の女を彼は注視する。何が問題であるのか、まったく分かっていないといった表情。
それは彼女にとってはよい変化なのだろう。本来わだかまりを抱くべきことではないのだ。
けれどアージェはそう思いながらも、無視できない不満を覚えている。溜息になるかと思って吐き出した息は、棘のある言葉になった。
「―――― あの男はあなたの友人ですか、それとも夫になる男ですか?」
「え? え、え? なんでそんな」
突然の問いに飛び上がったレアリアは、しかしアージェの目が笑っていないことに気づいたらしい。すぐに真面目な顔になる。
「そんなことはないけれど。何故そう思うの?」
「頭を撫でさせていたでしょう」
「え?」
レアリアは軽く目を瞠る。金色の髪が残照を受けて輝いた。
旅人の簡素な格好をしていても気品を失わない彼女。その姿は誰の目からも貴族の娘に見えるだろう。
だが本来の彼女はもっと貴い人間だった。大陸でただ一人至尊の座にいた女。
自らの唯一の主人であったレアリアを、アージェは射抜くように見つめる。
―――― かつての身分はもうない。
それは確かだ。彼女は高き処から降り、二人はもはや主従ではない。
けれどそのことを分かっていながらも、アージェはやはり気安く彼女を軽んじられたくないのだ。
誰にも垂れることのなかった頭を撫でられて、笑っていて欲しくなどない。
レアリアの身分を無意味と断じたのは誰よりも自分であったはずなのに、今更そのように思ってしまうのはやはり身勝手であろう。
己の度し難さを再確認して、アージェは嫌な顔になる。
「何でもない。やっぱ忘れて」
「ちょ、ちょっと待って!」
歩き出そうとした彼の腕に、レアリアは慌てて縋りついた。
「あれは別に避けるのも不味いかと思っただけで……というか、アージェもするでしょう?」
「するけど、俺は友達だろ」
「ああ……」
何が問題だったかレアリアもおおよそ察したらしい。彼女はアージェの腕に縋ったままうなだれた。
「気をつけます。ごめんなさい」
「げ……いや、俺が悪いし」
そんな風に謝罪させるつもりはなかった。
ますます罪悪感に駆られた青年は、かぶりを振ると大きく息を吐き出す。


矛盾する希望。
割り切ろうと思っても残ってしまう幾許かは、全て彼女に向かうものだ。
何が彼女の意志に叶うのか、何が幸福であるのか―――― それだけを考えようとしても、ふとつまらぬことで躓いてしまう。
アージェは身を屈めると、下げた額をレアリアの頭に乗せた。
「なんつか、未熟者でごめん」
「そ、そんなことない! 私がよく分かってないんだし、もう他の人にはさせないから……」
「それ、一生俺以外に友達はいないって宣言してるのか?」
「う」
彼が顔を上げると、レアリアは仔犬のような目でじっと見上げてくる。
不安げな、だが揺るぎない親愛の目。
そのような表情を見て困らせてみたいと少し思ってしまうのも、やはりよくないのだろう。
普段押し込んでいる色々な感情を前にして、アージェは溜息を飲み込む。大きな手を女の頬に添えた。
「レアはレアで好きにしてていい。もう自由になったんだ」
毅然と天を睨む女皇でなくていい。普通の娘のように生きることも出来るのだ。
彼女自身がそれを許さなくても、アージェはそう思っている。その為に、彼女の傍らに在る。



感情が、落ちる日のように戻っていく。
沈黙の重さは、もう苛立ちを呼び起こさなかった。
触れた手に、女の手が重ねられる。 レアリアはゆっくりと睫毛を上下させると微苦笑した。
「ありがとう。でも私は、あなたにそうであって欲しいわ」
「俺に?」
「ええ。だから何かあったら言って。気をつけるから」
柔らかい風には湿り気が混ざっている。
夜が近づいているのだろう。お互いの手を取ると、二人は再び歩き出した。
見上げると明るい空にうっすらと白い星が浮かんでいる。
「もし他に友人が出来たとしても、あ、あなたは特別だから」
謳うように囁く彼女は、白皙の頬を薄紅に染めていた。
背筋を伸ばし自由に見える姿。アージェはその横顔を驚いて見つめる。
―――― 見返りが欲しいわけではない。何かをしてもらいたいわけではない。
ただそれだけで全てが割り切れないのもまた事実だ。
ふっと頭の中に希望がよぎる。アージェは深く考えずに身を屈めると、彼女に顔を寄せた。
「俺もそうです」
軽い、触れるだけの口付け。
目を開けた時、彼は真っ赤になっている女を見て笑い出しそうになった。
「あ、あああ、アージェ! な、なんで!? 友達だから?」
「じゃあそういうことで」
「それって他の友達にもするの!?」
「しない」
手を取って帰る道は、ままならないことばかりが落ちている。
だがそれに躓くこともきっと、自由になったからなのだろう。
アージェは割り切れないことを割り切ると、女の手を引いて村の中を歩いていく。
行く先の見えない道に、けれど悪い気分はしなかった。






「と、友達ならするの? 本当に?」
「レア、昔そう言って俺にしたの忘れた?」
「…………覚えてるけど、あれは違うでしょう…………え、本当に……?」
「他の友達にはさせるなよ」