修理する

mudan tensai genkin desu -yuki

結婚してから暮らし始めた新居は決して広くはないもので、クラリベルは最初それを、夫が不満に思うのではないかと気にしていた。
何しろ彼は貴族出の人間なのだ。生まれも育ちもまったく異なる。普通であれば上手くいくはずがない。
そんな彼らが夫婦となったのは、簡単に言えば気の迷いであろう。偶然が重なって何となく結婚した。
―――― と彼女が言うと、夫である男はがっかりした顔になるのだが。

ともあれ、クラリベルはそのような夫を面白いと思いつつ、彼を尊重して生活することを忘れていなかった。
新生活を始めてまだ二ヶ月、家の掃除をしていた彼女は、外から扉を叩く音に気づいて顔を上げる。
「あれ、お客さん?」
「俺が出るよ」
クラリベルには届かない棚の上を掃除していたエヴェンは、そう言って彼女を制すると剣を手に玄関へと向かった。
床を磨いていた彼女は一拍置いて顔を上げる。
「なんで剣?」
玄関の方から、剣同士がぶつかり合う固い金属音が聞こえてきたのは、その直後のことだった。






扉を開けてすぐの斬撃を、既に予想していたエヴェンは抜いた長剣で防いだ。
挨拶の一言もなく長剣を振るってきたアージェが、弾かれた剣を軽く引く。彼はそのまま男の胴を狙って突きこんできた。
鋭い攻撃を、エヴェンは剣身を斜めにして受け流す。アージェの剣は狭い廊下の壁を抉って嫌な音をさせた。エヴェンは秀麗な顔を顰める。
「壁が傷むだろ」
しかし青年は何も言わない。エヴェンは続く攻撃を外側に弾くと、隙が出来た肩口に向かって、剣の柄を叩き込もうとした。
―――― しかし彼の視界は次の瞬間、くるりと半回転する。
「……ちょっ!」
身を屈めたアージェに足を払われたのだと分かった時には既に、エヴェンは跳ね起きようと左手をついていた。
だがすかさず喉元には長剣の切っ先が突きつけられる。
数年ぶりに会う青年は、すました顔で問うた。
「で、言い残すことは?」
「お前、第一声がそれか! 元気だったかとか、久しぶりとかないのか!」
「感謝の気持ちはあったけど、手を出せとは微塵も言わなかった。今は殺意が感謝にギリ勝ち」
「待て。剣近い。引け」
ごく普通の家の戸口にて交わされる剣呑なやり取り。
そこに剣戟の音を聞いたクラリベルが奥から顔を出した。彼女は剣を突きつけられている夫を見て小さく飛び上がる。
「え、な、何してるの!」
「あー、まぁ見たまんまで」
エヴェンが諦めたように手を振ると、そこで彼女はようやく兄の存在に気づいたらしい。あんぐりと口を開けて、剣を抜いている兄と壁の傷を交互に眺めた。
「……アージェ」
「ん、久しぶり。元気だったか?」
「元気だけど……お兄ちゃん、その壁直してね」
「分かった」
アージェは事も無げに頷くと、そこでようやく長剣を鞘に収めた。


壁の補修などエヴェンにはやり方も分からないが、世慣れた青年にとっては造作もないことらしい。
傷ついた箇所を多少削って粘土を塗りこんだアージェは、それが乾燥するのを待つ間、クラリベルの淹れたお茶を啜っていた。
隣に座るエヴェンは、呆れた目をかつての僚友に注ぐ。
「お前、全然変わらないな」
「変わるようなことがないし。お互い様だと思うけど」
クラリベルは菓子を焼く為に席を外している。エヴェンは妻の不在を確認すると、小さな声で返した。
「子供が生まれたんだろ」
「ああ」
書簡で読んでいた話を口にすると、アージェは軽く頷いた。
「でもそれで俺の態度が変わったら、レアが不安になるだろ」
「……そうか」
数年の間に何が変わって何が残っているのか、薄々察してはいても言葉にすることはない。
或いはそれは、人によって違っても見えるものだろう。少なくともエヴェンから見てアージェは以前と変わらぬように見えたが、それはアージェ自身が意識してそう装っているのかもしれなかった。
何を考えているのかよく分からない青年は、妹が皿を持って戻ってくると幾分雰囲気を和らげる。
「エヴェンに苛められてないか?」
「うん。よくしてもらってる」
「始末したくなったらいつでも言えよ」
「おい」
焼きたての菓子の匂いに、クラリベルの笑声が重なる。
不思議な温かさを帯びる空気。エヴェンはその中にあってこの時、知らないはずの家族の温度を思い出した。



ふらっと来た青年は、妻を置いてきているとあって長居するつもりはなかったらしい。壁を塗るとさっさと帰って行った。
「また来るから」というあてのない言葉。けれどクラリベルは当然のように笑って兄を見送る。
それは再会の約束が嘘であったとしても揺るがぬ情のように、エヴェンには見えた。
二人だけに戻ると、彼女はエヴェンを見上げて微笑む。
「ありがとうございます」
「なんでお礼?」
「言いたくなったので」
幸せそうに見える微笑は、何処か前と違ってすっきりしたようにも思える。彼は若い妻へと手を差し伸べた。
「よし、じゃあ掃除するか」
「休んでていいですよ」
「いや、色々やってみたいから」
塗られたばかりの壁を見ながらそう言うと、クラリベルは軽く目を瞠った。
何を意外に思ったのか、だがすぐに、彼女は青い瞳を愛しげに細める。
「エヴェンさんはエヴェンさんなのがいいんですよ」
「そう?」
「はい。面白いですし」
「…………」
納得はいかないが、彼女は嬉しそうである。
ならばいまいち噛みあっていないこの状態もまた、歓迎していいものなのかもしれない。
エヴェンは重ねられた手を取って引き寄せると、妻の額に口付ける。
平穏な時代はまだこれからも続いていくようだった。