撃つ

mudan tensai genkin desu -yuki

灰色の砂壁が何処までも続いている。
砂塵の混じる風はこの辺りでは珍しくもないものだ。乾いた石畳の上を行き交う人間たちは住民も旅人も皆、口元を布で覆っていた。
アージェは埃の入った目を擦ると、隣を行く女を気遣う。
「大丈夫か?」
「うん」
覆い布を被り、顔の下半分を布で覆ったレアリアはこくりと頷く。
旅の途中、街道の要所であるこの街に立ち寄った彼らは、馬を休め補給をしてからまた街道に出る予定なのだ。
普段回っている集落と違って、人通りの多い景色をレアリアは透徹した目で見やった。
「すごい人ね」
「ほとんどが旅人だ。俺も傭兵時代一度来たことがある」
「へえ……」
アージェは国を出た今も傭兵として仕事を請けることはあるが、普通の傭兵のように仲介所を通すことはない。
基本的にはレアリアを優先して傍から離れない彼を、彼女は目を細めて見つめた。
「今度、その時の話聞いてもいい?」
「別に面白くないけど」
「いいの」
レアリアは他愛もない約束を嬉しそうに交わす。しかしすぐに、その小柄な体はがくんと揺らいだ。
「あっ」
「危ない」
石畳の段差に躓いた彼女を青年の手が支える。レアリアは咄嗟に手にかかるものを掴んだ。
よろめく女を元通り立たせたアージェは、彼女がぎゅっと握っている布に気づいて笑う。
「そんなの掴んでも転ぶって」
「う」
レアリアが持っているものは彼の口元を覆っていた布だ。
解けてしまったそれを、アージェは受け取って巻きなおす。
「レアはとろいところあるんだから、注意しろよ」
「……え、私、とろいの……?」
「今更気づいたのか?」
「…………」
愕然としている彼女の手を引いて、アージェは人波の中を再び歩き出す。
彼らにとってはごく普通の光景で、当たり前のやり取り。
―――― けれどその一部始終を、行き交う人々の向こうから注視する人間が一人いたのだ。
ひどく日焼けして皺の深い顔をしたその男は、しばらく驚きの目で二人を見ていたが、やがて彼らの後を追ってそっと人の波の中に紛れ込んだ。


宿についてレアリアを彼女の部屋に入れてしまうと、アージェはもう一度外へ出た。
どうにも先程からつけられている気配がする。それを確かめる為に彼は周囲を探索しようと思ったのだ。
「心当たりはあると言えばある、けどな」
ケレスメンティアが滅びてから一年、彼らは或る意味大陸でもっとも有名な存在であるのかもしれない。
最古の皇国を死に至らしめた二人は、レアリアは死者として、アージェは行方不明者として知られている。
だがそれも辺境の地に行けば、ケレスメンティアの存在自体知らない人間が多くいるのだ。
自身もそのような一人だったアージェは、だから周囲の目を用心しつつも、それ程悲観的にはなっていなかった。
「つっても久しぶりに人の多い街だからな」
皆が顔を覆っているこの状況は好都合と言えばそうだろう。
ただだからと言って不審な気配を見過ごすことは出来ない。アージェは宿屋の周囲をぐるりと一周した。
そして再び建物の中へと戻る。
彼は足音を殺して自分の部屋の前まで来ると、おもむろに剣を抜き扉を開けた。
一歩足を踏み入れた瞬間、右の死角から刃物が突き出される。
「っと」
金属のぶつかり合う音。アージェは己の剣で軽く相手の刃物を払った。
部屋の中に潜んでいた男は、不意打ちを防がれると思っていなかったのか、動揺を浮かべて二歩下がる。
日焼けした顔。皺は多いが、老人という程でもない。四十代から五十代の人間だろう。体つきはがっしりとしていて、剣を生業にしている人物ということが分かった。
憎憎しげに顔を歪める相手を、アージェは眺める。
「……覚えのない顔だな」
「貴様にとってはそうだろうな。単なる一神兵のことなど気に留めたことなどなかったのだろう」
「大体理解」
つまり相手はケレスメンティアの出身者で、故国を滅ぼしたアージェを恨んでいるということなのだろう。
男をおびき寄せる為にわざと鍵をかけずに外に出ていた青年は、手袋を嵌めた左手で窓の外を指差した。
「じゃ、表出ろよ。ここでやりあったら宿に怒られる」
「そうして私を殺して、お前は当然のような顔で生き続けるのか?」
「そのつもりだけど」
どの道、彼が生きているということを知る人間にうろうろされては困るのだ。
それを放置してはレアリアの危機に繋がりかねない。アージェは動かない相手に再度外を示す。
「出ろって。あんたにもその方がいいだろ?」
「今更体面を気にするというのか。お前なら何処の闇にでも放り出すことが出来るだろう」
「出来ないんだよ。神代の支配は終わった。呪縛は消えて、俺の異能も消えた」
アージェは左手の手袋を取ってみせる。
他の部分と同じ色の肌は、若干日に焼けてはいるが黒くはない。男の息を飲む音が聞こえた。
二千年にも及ぶ歴史を女皇と共に在り続けた騎士。その異能の消失は人に如何なる感慨を与えるというのか。
左手を凝視したきり沈黙してしまった相手は、ややあって吐き出す息と共に小さく肩を落とす。罅割れた声が問うた。
「……あの話は、本当なのか?」
「どの話?」
「陛下が最後になさった話だ」
「本当。信じなくても俺は別に構わないけど」
事の真偽が明らかにされる日は、きっと永遠に来ない。
冷静に議論されることさえ今は望めないだろう。それはもっと未来の話だ。
皆の知らぬ場所で何かが終わり、人の世は変わっていく。
そうしていつか、今よりも平穏な時代が大陸を覆うのだろう。
―――― それが彼らの選んだ結末だ。



男は怒りと困惑の目でアージェを睨んでいたが、青年がまったく意に介していないと分かるとかぶりを振って扉の外へ歩き出した。アージェがその後に続く。
二人は軋む階段を下りて外へと出た。細い路地に入り、人目のない方へと向かう。
砂を踏むざりざりとした足音。暗黙のうちに街の外へと行きながら、男はぽつりと問うた。
「もう一つ聞いてもいいか?」
「ん。言ってみれば」
「お前と一緒にいた金髪の女は誰だ?」
「友人」
即答はしたが、相手の男はその答を信じたようには見えない。
かつて神兵であった男は、口元だけを上げて微苦笑する。嘆息にもならぬ息を洩らした。
「お前は、私を見逃すことはしないのだろうな」
「そうだな」
負うと決めたものは負い続ける。
それがアージェの生き方だ。きっと死ぬまで変わることはないだろう。
人を救い続けることを決めたレアリアとは違う。彼女とその意志を守る為に、彼は剣を取るのだ。
「砂が多いな……」
風は乾いている。アージェは狭い路地の中から青空を仰ぐ。上空では風が強いのか、薄い雲が次々に流れていった。
舞い上がる塵が顔にあたって痛みをもたらす。彼は口を覆う布を押さえ、また一歩を踏み出した。