悠久を誓う剣 208

無人の街中はしんとした空気に包まれていた。
整然と美しい街並み。人の生活の跡が残る場所に生きた者の気配だけがない光景は、見る者に異様な印象を抱かせる。
イクレム、セーロンの軍が草原を進軍していくすぐ傍で、略奪を禁じられている為に手付かずである城都は、国の激動にもかかわらず静寂を許されているように見えた。
その路地裏、平素も人が通らない行き止まりに、音もなく小さな転移門が現れる。
中から現れた数人の男女は人影のない周囲を見回すと息をついた。中にいた傭兵の男が問う。
「ここがケレスメンティアの城都か?」
「そうよ。何かに使うかと思って座標取得しといたけど、まさかこんな時に使うとはね」
「嫌そうに言うな。報酬は破格だろ」
「まぁね」
魔法士の女は肩を竦めた。付き添ってきた若い騎士が苦笑する。
「転移座標を確かめられれば、あとは帰還して構いませんから」
ケランの紋章をつけた騎士と兵たちは、方角を確かめると人気のない街を歩き出した。その後ろに傭兵の男と魔法士の女が続く。

コダリスとの膠着状態に入りかけていたケランに、イクレム王太子フィレウスからもたらされた打診は、戦争の仲裁とその後のことについてだった。
大戦未満とは言え十ヵ国近くが絡んでの衝突は、既に不毛な行き詰まりを見せている。
特にケランを相手取るコダリスは、ディアドの手でシャーヒルを殺されたとあって内部でも混乱を見せており、意見が統一できていないようだった。
今まで王の才にほとんどを頼りきっていた彼の国は、充分な後継者がいない状態で引き際を見出すことも出来ず、ただずるずると争いを続ける羽目になっていたのだろう。コダリスに協力していた国々もそのような状況に困惑していたに違いない。
そこにきてイクレムからの打診は、実際どの国にとってもありがたいことであった。
ある国は快諾して、ある国は躊躇う素振りを見せながら、結局はほとんどの国が仲裁を受け入れ、戦争は終息に向かいつつある。
そして次にイクレムは、主だった二国であるコダリスとケランに、もう一つの申し出をしたのだ。
―――― すなわち「ケレスメンティアの真実を知りたくはないか」と。

イクレムから教えられた転移座標が本物であるか、ケランは疑ったがそれを確かめる術はない。
だが国王マティウスはケレスメンティアの真実を知りたがった。
その為「ケレスメンティア城都への転移座標を知っている」という彼女が雇われ、極秘裏に転移座標の確認に遣わされたのだが、確認作業が可能になるのはイクレムやコダリスが移動してからのことになるだろう。
急に知り合いから呼び出されてこの仕事についたリィアは、呼び出した当人であるケグスを横目で見上げた。声を潜めて問う。
「で、あんたはケランに加わってケレスメンティアを攻めるわけ?」
「いや。必要なさそうなら帰る」
あっさりとそう言う男は、「必要ならば」戦う気があるのだろう。軽装ではあるが武装したその姿にリィアは目を細めた。
「私さ、彼には借りがあるんだよね」
「仕事終わったら何するのも自由だろ」
ケラン騎士の言葉をいささか曲解しての返答に女は首を竦める。
先の見えない道行き。彼女は身を屈めると無人の店の窓から中を覗き込んだ。薄暗い店内には硝子で出来た薔薇が飾られている。
乏しい光で赤味を帯びる薔薇。美しいながらも翳りの濃い傾いたその姿は、彼女に何処か孤独な女皇の姿を思い出させたのだった。



女皇の宣言から始まった城内の混乱は一向に収まる様相を見せない。
主君の背信に怒り狂う者やディアドにその責を見出す者など、皆が混乱し声高に騒ぎ立て、少しでも要旨を吟味しようとしたり、冷静に考えることを促したりする者がいれば、まるでその人間もまた背教者であるかのように罵られた。
小さな諍いがそこかしこで起き、それらは周囲の人間を巻き込んで一つの騒動となる。
内部から瓦解しつつあるケレスメンティア城はこの時、アージェの言った通り国の最後に向かって着実に進んでいるかのようであった。
指揮官たちをまとめ、混乱しかける騎士を叱咤して、何とか統率を取り戻そうと苦心しているガイザスは、城のすぐ傍にまで侵攻軍が近づいてきているとの報告を受け、重い息を洩らす。
「まったく度し難いことだ……ここで信仰者同士争えば、神の教えが争いのもととなると言っているようなものであろうに」
正門近くに立つ彼は広場を振り返りかぶりを振ったが、それで現状が変わるはずもない。改めて防衛配備を命ずると、ガイザスは少し考え側近の指揮官たちを近くに呼んだ。ぼそりと指示を付け加える。
「興奮が収まらないならばその方向を少し変えてやろう」
「と言いますと?」
「イクレムがディアドを通じて陛下を誑かしたのだと、それとなく兵に吹き込め。
 根拠はないが敵も進軍が早すぎる。熱くなった頭なら信じる者も出てくるだろう」
普段のガイザスであれば呈することのない小手先の弄言に、指揮官たちは驚いた顔になった。中の一人がおずおずと確認する。
「ですが、後に問題になる可能性が……」
「今はその後がなくなるかもしれぬ分水嶺だ。兵が指揮通りに動かねば国が滅ぶ。
 多少の小細工はいたしかたない。内に向いている目を城壁の外に向かせるのだ」
苦味の混じる将軍の言葉に、指揮官たちは神妙な顔を見合わせると己の持ち場に散っていった。
ガイザスは自身も混迷する広場を振り返ると、重い声を張り上げる。
「―――― 聞け! 神に仕える兵たちよ! 我が国を侵す輩はすぐそこにまで迫っている!
 剣を取り迎え撃て! 今ここで味方同士決裂すれば、全て糸を引いたイクレムの思惑通りになるぞ!」
強引に兵を纏め上げ鼓舞しようとする言葉は、多くを語っているわけではなかったが、確かにその場の空気を変じさせた。
殺気立ち言い争っていた兵たちは、己を顧みると顔を見合わせ動き始める。それを更に我に返った騎士たちが急きたてていくのを見て、ガイザスは内心複雑な思いを抱かざるを得なかった。要旨に書かれていた内容が脳裏に浮かぶ。
「民の無知が許されるのは、その方が操りやすいからだ」との解釈。
それを彼は今ここで目の当たりにしているのだ。兵は無知である程自在に動かせる。
女皇の暴挙が仮に人へと知恵を与えるものならば、今の混乱は彼らにとって、本当は受け入れるべき変化であるのだろうか。
―――― ガイザスはそのようなことを考えかけたが、総指揮を執らねばならぬ彼が気を散らしていては甚だ問題だろう。
敵側の指揮を執っているアリスティドは一筋縄ではいかない人間だ。混乱がなくとも気を抜けば敗北を味わわされかねない。
ガイザスは厚い手袋を嵌めた手に目を落すと唇の端を歪めた。
「神のお心が闘争にあるならば尚更、私のやることは変わらぬ。ただこの剣で敵を排し続けるだけだ」
神兵たちの頂点に立つ男は、堂々たる背を兵たちに見せ己の大剣を抜く。
そうして遅ればせながら迎撃の態勢を整えかけていたケレスメンティアの城壁に、攻城用の魔法弾が打ち込まれたのはその直後のことだった。



「とりあえず穴を開けねばな」
魔法士たちに攻城を開始させながら、馬上のアリスティドは高い城壁を見上げた。隣のエルに向けて呟く。
「飛んで入ったらどうだろう」
「さすがに打ち落とされるかと……結界にも限度がありますから」
「なるほど」
子供のように頷く王子を、エルは心配そうな目で眺めた。
大方アリスティドも面白そうなどという理由でそのような発想を口にしたのであろうが、あまり自ら危険を負うようなことはしないで欲しい。
―――― 彼女はそう願っているのだが、それは初めから難しい希望であったろう。アリスティドは城壁上から射かけられる矢と、それを防ぎつつ壁を攻撃していく攻城部隊を注視する。
「押さえておくべきは大聖堂か。あとは女皇とその騎士」
「ええ……」
ケレスメンティアが擁しているであろう神具と女皇と異能者。それだけは真っ先に排除しなければ、形勢が覆される恐れがある。
だがエルは、それらに対抗出来る人間として継承者である主君本人が出向かなければならないことに、言いようのない不安を覚えていた。アリスティドに分からぬよう小さな溜息をつく。
「間に合えばよいのですが。神具がいつ持ち出されるか分かりません」
「ケレスメンティアはコダリスとは違う。自国民を巻き添えに神具を使おうとはしないだろう。
 その前に城内に入ってしまえばよいのだ」
断続的に聞こえる轟音。城壁に張られているのであろう結界を突き崩し、攻城魔法は徐々に壁を削りつつあった。
このまま行けばあと十分程で穴を開けることが出来るだろう。
しかし彼らがそう見積もりかけた時、東方向から重い音が聞こえた。鎖の鳴る金属音。アリスティドは馬上で目をまたたかせる。
「そう来るか」
納得の声に遅れて報告が入ってくる。
「城門が開かれた」とのそれは、ケレスメンティア側が反撃を開始することを意味していた。出てきて城壁破りを排除するつもりか、それとも城門から誘い込むつもりか、アリスティドは相手の出方を考える。
「とりあえず城門方面に向かって横陣を引きつつ、壁への攻撃は続行で」
その命令に応えるが如く、攻城魔法は一層轟音を響かせて壁へと撃ち込まれた。一方城門からは、ケレスメンティア軍がその姿を現す。
今まで一度も侵攻を受けたことのない皇国にとって、城にまで敵軍を侵入させてしまうことは許しがたい事態なのかもしれない。
アリスティドは焦るわけでもなく剣を抜きながら、魔法士に命じた。
「穴は開けるのだ。続行で。とにかく穴」
「は、はい」
城壁への攻撃はそのままで、アリスティドは軍を動かし始める。城門を中心として、半円形に騎馬兵を配させた。セーロン特有の迅速な動きで布陣を終えると、態勢の整いきらぬ敵陣に集中して矢を射掛けさせる。
それはケレスメンティア軍の動きを阻害し、その場に押し留める役割を果たしていた。攻城を行っている場所から遠視の魔法具を使って戦況を確認するアリスティドは、伝令の魔法士に命じる。
「そろそろ敵は結界を張って前進してくる。こちらも結界で城壁上からの攻撃を防ぎつつ、近接戦に持ち込もう。
 門の外に出てきた奴から叩くのだ。相手を出しすぎるとこちらが困るからな。ちょっとずつ出させる感じで」
「かしこまりました」
アリスティドの指示は時折感覚的すぎるきらいがあるが、皆がそれに慣れきっている。
彼は命令が伝達されるのを眺めつつ、だが釈然としない表情を湛えていた。エルが横から問う。
「如何なさいました?」
「いや、前も手応えがなかったが、今は浮き足立ってるような気がする」
「ケレスメンティアがですか?」
「ああ。あの将軍が指揮をしているのならもう少しごりっとしてそうな気がするのだがな。本当に何かあったのだろうか」
首を左右に傾ぐアリスティドも、それ以上のことは見当がつかないようだ。
彼は着実に削られつつある壁を振り返ると、真面目くさった表情で「穴待ちだな」と呟いた。






一つの城を舞台にしての混沌。
黒い粒のような人間たちが忙しなく動き回る様を、遥か上空からは一人の少女が見下ろしていた。
金色の瞳を煌かせて成り行きを見つめるルクレツィアは、艶やかな口元で笑う。
「さあて、どうなるのかしらね。クレメンシェトラ」
鈴を鳴らすような声は空の下に響いたが、地上までは遠く落ちていかない。彼女は浮き上がる髪を手で払った。
「いつだって些細なことが原因なのよ。あんたが人の男に惹かれたように。あの子が孤独に疲れたように。
 その程度のことが変革を呼び寄せる―――― ねえ、私を呼んだのは誰? 早く結果を見せなさいよ」
ルクレツィアは空中で膝を抱えると、次の瞬間跡形もなく姿を消す。
よく晴れた宙に流れる風。そこには束の間甘い香りが混ざったが、またたく間に薄まり溶け去って、後には何も残らなかった。