悠久を誓う剣 209

城内は異様な騒々しさに満ちていた。
物々しい空気。回廊から逃走した女皇と騎士を探して、あちこちの廊下を神兵たちが走り、部屋を改めている。
それを指示する騎士たちには険しい表情の者が多かったが、それだけではなく怒りに目を血走らせている者も、また濃い憂慮を滲ませている者も少なくなかった。
混迷への道を一直線に進んでいるかのような喧騒。
その中を一人歩くロディは、魔法着の袖の中から小さな魔法具を取り出す。
「探知にはやっぱりかからない、か」
魔法具探知で女皇の居場所を探す方法は、コダリス戦でレアリアが行方不明になった時も取られた手段だが、今回はさすがに女皇自身が逃げているだけあってそのような手は使えないようだ。
ロディは頭を掻くと申し訳程度に近くの部屋を開けてみた。
だがそこには誰の姿もない。男は眉を曇らせる。
「参ったな。他の人間に見つかったら面倒だってのに」
歴代女皇の中でも異端児とされていたレアリア。その彼女が今までどれだけの重圧を負っていたか、ロディは当然ながら知っている。
両親を失いディアドを失って、更にはルドリスからの圧力を受ける彼女に味方し、ルドリスを排除することに加担した側近たちのうちの一人がロディなのだ。 十三年前のその一件に関わったのは、エヴェンとシンとベルラ、そして彼であったが、積極的に介入した彼ら四人は、他の傍観していた重臣たちよりもおそらくはレアリア個人のことを考えていただろう。
しかしだからこそロディは、ここで彼女は逃げてしまうべきではないと思っていた。
「あと一年くらいの辛抱だ。それが過ぎれば自由になれる……」
女皇は、極論を言えば女皇を生んでしまえば役目が終わるのだ。
娘を産み、後の環境を整えれば、そこから本当にレアリアは自由を得られる。
このように殺されるかもしれない状況で逃げ回る必要などないのだ。時を待ちディアドの手を取って静かに姿を消せばいい。
それまでの不自由は、女皇である以上彼女が飲まなければならない最低限の義務だと、ロディは考えていた。
「神の真意か……」
信仰者である彼は、レアリアの明かした「真実」が本当か否か、思うところは勿論ある。
だがそれよりも先に立たねばならぬ現実はあるのだ。
理想通りに進むことなどない。人は可能である範囲内において、次善を選んでいかねばならない。
彼女を守り、そして国を守る為に、ロディは誰よりも早く二人を見つけ出そうと決意を固めた。
彼は手の中に探知構成を組むと、それを広げてみる。
魔法具に頼ってのものではない「異能者を探す」構成。緩やかに広げたその範囲に、ディアドの反応は見られなかった。



城門外での戦闘は決して芳しい状況に置かれてはいない。ガイザスは指揮を執りながら内心苦い顔を崩すことが出来なかった。
そもそも侵攻の初期段階から女皇の判断に迷いが見られた為、対応が後手後手になってしまっていたのだが、今回はそれに加えて城に全軍がいる状況からの迎撃である。
混乱する兵たちの目を何とか敵に向けさせることは成功したが、彼らの興奮は歪に漂っているままだ。このような状態で時間のかかる篭城戦などは難しいだろう。ガイザスは兵たちが再び仲間同士争い始めるのを避ける為、彼らを外に出さざるを得なかった。
イクレムとセーロンは、城門周辺に厚い陣を敷き、ケレスメンティア軍を必要以上に出すまいと攻撃してくる。
ガイザスは門の下で指揮を執りつつ、別働を動かすよう命じた。
「西門から出て左回りに進め。攻城部隊を潰して奴らの後背を取れ」
大多数の自軍を城内に入れたままでは、何も出来ない遊軍を大量に抱えているようなものだ。
彼は少しずつ門前に自軍を展開させながら、敵軍を挟撃するまでの防衛を指示した。結界の隙間から飛来する矢を剣で斬りおとす。
濃い血の臭い。剣戟の音と罵声が青空の下錯綜した。
美しかった城と緑の草原は、いまや大陸の何処にでもある凄惨な戦場と成り果てている。
だがそれを残念と思う暇もない。ガイザスは、拮抗した戦況に自ら剣を取って前線へと歩み出た。一際大きい体躯の彼を、神兵を切り捨てたイクレムの騎士は思わず仰ぎ見る。その頭を兜の上から大剣が叩き割った。
「怯むな! 神は我らを見ておられる!」
生死が渾然となっている場では、単純な一言こそが高揚を生む。
ケレスメンティアの兵は、軍部総将自らが剣を振るっている姿を見て勢いづいた。
ガイザスはその空気を肌に感じつつ、だがアリスティドの姿が見えないことを訝しむ。
「何処に行った……?」
指揮官としても剣士としても抜きん出ている男。
今までの戦いではいずれも前線にいた彼が、今この場にいないということはガイザスに不吉な予感を抱かせた。
男はその場に踏み止まって戦いながら周囲に視線を巡らす。
―――― 直後、何かが崩落するような音が西側から聞こえてきた。城壁上にいた守備兵の声が重なる。
「城壁が……!」
「破られたか!」
攻城魔法が撃ちこまれ続けていたのは断続的な振動音で分かったが、ついに穴が開けられたのだろう。
今まで何者にも傷つけられたことのない城が、自分のすぐ傍で損なわれたことに、ガイザスは歯噛みした。
だがそれはそれとして、戦況にはさしたる影響もないだろう。
開けられた穴の向こうにはケレスメンティアの兵が数多くいる。また別働もまもなく西の城壁に到達するに違いない。
ガイザスはそう判断すると、大きく左手を上げた。
「行くぞ! 続け!」
今はこの半円状の包囲を崩さねばならない。
彼は包囲陣のうち城壁間近の西側部分を標的とすると、そこを突破すべく豪腕を以って大剣を振るった。
ますます濃くなる血の臭い。誰のものともつかぬ絶叫が空を裂く。



ようやく開けることの出来た穴は、大人が二、三人通るのにやっとの大きさであった。
だがそれは、人が通れさえすればいいのだ。精鋭の兵たちが声を上げ、たちまち中へと突入していく。
一方その動きは内側のケレスメンティア兵も予想できたことだった。
狭い入り口から入ってきた敵兵を包囲する神兵たち。ちょうど正面城門とは逆の態勢で彼らは衝突する。
エルは主人のすぐ後ろについて結界を張りつつ、周囲の様子を確認した。左前にある建物と城壁の間、包囲網の外に細い通路があるのを見つける。
「殿下! 左に!」
「分かった」
アリスティドはそこにいた神兵を斬り捨てると、数人の騎士たちと共に狭い通路へ飛び込む。
城壁の上からは魔法が降り注いだが、エルは結界を張ってそれを防いだ。
左右を高い壁に挟まれ影になっているそこを、彼らは脇目も振らずに走っていく。
「道がまったく分からない!」
「方角はあってます!」
ケレスメンティアの大聖堂は、城内北西部に建てられているはずだ。
その情報を彼らは事前にセノワらの調査によって得ていた。そしてそこ以外に神具が置かれていそうな場所はないとも。
後ろを引き離し気味のアリスティドは、途中の角から現れた神兵を一閃で切り伏せる。
相手に剣を構える間も与えない剣捌きはただ見事の一言につきた。
剣術、戦術の両方において突出した才を持つ彼は、もう少し中身がまともであれば、大陸において名のある覇者となれたのかもしれない。
だが実際のアリスティドは、そのような野心どころか玉座にも興味がなく、今は義憤に駆られて走っているだけだった。
彼の後姿をずっと追い続けてきたエルは、自分たちに課せられた役割に緊張の息を飲み込む。
指揮官である彼を無理にでも城内に突入させる目的は、第一に神具の破壊、第二に女皇とその騎士の殺害にある。
古くから「ケレスメンティアには神具がある」とまことしやかに囁かれてきたのだ。その力を一度目の当たりにしたことがある彼らは、コダリスがしたように戦場で神具が用いられることだけは何としても防がねばならないと思っていた。
突き当たりに見えてきた壁。エルは右側を指差す。
「こちらに!」
神具の破壊は継承者にしか出来ない。
それはエルにとってはやまない不安を生み出すものであるが、アリスティドは自分以外に誰がやるのかと意気込んでいるようだった。
右に折れた彼らの前に神兵たちが立ち塞がる。詠唱を開始するエルの前で、アリスティドは堂々と剣を掲げた。
「信仰はいいが何も知らないままではいけない! そろそろ悪巧みも終わりの時間だ!」
支離滅裂にも聞こえる宣言は彼にとっては意味があり、そしてケレスメンティア兵にとっては神経を逆撫でするものであった。
殺気立つ兵たち。エルは彼らに向かって右手をかざす。
「射よ! 生まれ落ち、焼け落ちる矢よ!」
空中に現れる十数本の炎の矢が、螺旋を描いて神兵たちへと向かう。
ケレスメンティア側の魔法士が慌てて結界を張ろうとするのが見えたが、矢はそれより早く兵たちへと着弾した。
先制攻撃に悲鳴を上げる神兵。セーロンの騎士たちは次々彼らへ斬りかかる。
エルは次の詠唱をしながら城門の方を仰いだ。
この作戦は、早々にイクレム・セーロン本軍が城内に入ることを想定してのものなのだ。
もし状況が悪化し神具が壊せそうにないのなら、エルはアリスティドだけでも城外へ逃がさなければならない。
その見極めをも任されている彼女は、じりじりと押し寄せる緊張を背に負いつつ詠唱を続けた。






皹割れた空間。
白い玉座に座す女は、床の上に走る亀裂をただじっと見つめていた。
外から伝わってくる変化と内なるそれに、クレメンシェトラは睫毛を揺らして目を閉じる。
―――― 随分久しぶりに、この玉座に座った気がする。
もうずっと長い間、それは人間の女の務めであったのだ。彼女はいつでも傍からそれを見ていた。
「私は……」
肉体を司る人格から切り離されていた。それは今となっては幸運だろう。
意識をすれば干渉を防げる。それが長く続くものではないにせよ、猶予があることはありがたかった。
クレメンシェトラは与えられた息を吸い、声として吐き出す。
「レアリア」
彼女の言葉は彼女に届く。
そしてそれは、最後の役目を彼女に伝えるだろう。クレメンシェトラは「思い出したこと」を告げた。
「レアリア、気をつけろ。―――― このままでは、この大陸は海に沈む」