悠久を誓う剣 211

扉を閉めキシンの死体を隅に移動させたエヴェンは、このまま酒でも飲んで眠りたい気分になったが、それも出来なそうである。窓越しに外へと視線をやると、神兵たちが数人何処かに走っていくのが見えた。向かっていく方向は城門だろうか。秩序の窺えない光景に男は考え込む。
「お前、陛下の演説聞いたか?」
「いえ。ですがどのようなものであったかは兵士たちが話しているのを聞きました」
「そうか。どう思った?」
「どうでもいいです」
あっさりとした返答は男の虚を突いた。
投げやりな訳でも強い意志がある訳でもなく、ただ本当にそれを「どうでもいい」としか思っていない軽さ。エヴェンが思わず女の顔を見直すと、ベルラは苦笑した。
「確かに驚きましたが、でも」
目を伏せてかぶりを振る間、彼女は知己たちの死を思い起こしていたのかもしれない。美しい顔から表情が消える。
「私、前はもっと色々考えていた気がします。何が国の為になるのか、どうすれば陛下を支えられるのか。
 その為になら何でも出来るような気がしていましたけど……今は何だか、気が抜けてしまいました」
「そうか」
「ネイが死んでシンが死んで、陛下も国を出られる。
 ―――― そうして人が消えていくと、国も信仰も、存外色褪せて見えるものです」
吐く為の溜息も持たない彼女は、少しだけ寂しそうに見えた。
エヴェンは既に遠い女の横顔を眺める。
「それで、お前はこれからどうするんだ?」
聞かなくてもいいことを聞いたのは、彼女が何処を選ぶのか知りたかったからだ。
ベルラは血塗れた両手をじっと見下ろす。
「役目を果たすだけです。私は陛下の影ですから」
「ああ」
「あなたは?」
その反問はエヴェンにとっては予想外だった。彼女にとっては義理のようなものかもしれないが、悪い気分にはならない。
彼は腰の剣を鞘の上から叩く。
「適度に戦って適度に生き残る。後始末をする人間が必要だからな」
「そうですね。あなたは長生きしてください」
お前も、とは言わない。挨拶もなく部屋を出て行く女をエヴェンは見送った。
彼はしばらく窓から外を眺めていたが、やがて自分も静かな部屋を後にする。
「色褪せて見える、か」
それは一つの現実で、だが多数に共有され得るものではない。
エヴェンは自身の見る現実の為に剣を取り、長い廊下を歩き出した。



「まさかそれが『終わりの箱』か?」
一定の条件を満たした時に開く『櫃』。アージェの問いにクレメンシェトラは頷く。
大陸から戦争をなくしたいと願う人々の、夢想そのもののような伝説の真実に、青年はさすがに言葉を失った。
「……いや、でも前にお前に聞いた時、何かおかしくなかったか? ほら終わりの箱と真実の扉について」
「私には制限が多くかけられているからな。禁則に抵触すれば忘却処理がかかる」
「思い出したのか?」
アージェは主にカルディアスについてそう聞いたのだが、クレメンシェトラはかぶりを振った。
「カルドについては無理だ。あれは完全に剥ぎ取られた記憶だからな。
 失われたということは分かるが、そこに何があったのかは分からない。
 ……レアリアがそれを知っていると言ったこともおそらくはったりだろう」
クレメンシェトラは微苦笑したが、一瞬だけ軽く眉を寄せた。それは事実を看破されたレアリアの表情だったのかもしれない。
アージェは主人の大胆さに内心呆れてしまった。一方、女は真面目な顔になると自分のこめかみを指で叩く。
「だが『記憶が欠落している』ということに気付けば思い出せることもある。
 勿論忘却処理の圧力はかかっているが、それも意識すれば防げなくはない。
 今の私は肉体との繋がりが希薄だからな。制限も処理も器を中継して行われる」
「ああ、レアから切り離されてるからか」
頷く女は、何処か憑き物が落ちたかのようにすっきりとした顔をしていた。
誰もが持っている諦観。それは彼女にとっては「在るものを受け入れる」ということなのかもしれない。
アージェは彼女の瞳の奥を覗く。
「それで? 何故そんな話を俺たちにする? 神の命令を遵守するんじゃなかったのか?」 
昨日とは打って変わって敵意を感じさせなくなったクレメンシェトラが何を考えているのか、彼は楽観的ではいなかった。
見定めるような目に女は澄んだ視線を返す。
「私は、カルドが何を言ったかについては思い出せない」
「……ああ」
「ただ、お前を見ていて少し感じた。カルドがいたなら、やはりお前と同じことを言うのではないかと」
―――― 気が付けば奥底にあった扉。その先にあるものは真実か、それとも未来か。
クレメンシェトラは扉を開くことは出来ない。ただその先を想像する。
そうして永遠の空白に向き合った。



クレメンシェトラを信用出来るか否かはさておき、彼女の話には聞き逃せないものがある。
アージェはケレスメンティア滅亡時に起こるという異変について、もっとも問題である単語を口にした。
「で、神の槍って実在したのか」
かつて大陸を五つに割ったという神具。大陸の端に焼き跡を残したという武具の名に、青年は驚きや恐怖を通り越して呆れ顔になってしまった。女はもっともらしく頷く。
「神代より一度も動いたことのない武器だ。だがそれは条件さえ揃えば動き出す」
「何でだ? 人間が叛旗を翻したなら滅ぼそうってことか?」
あまりにも取り付く島がない話を聞いてアージェは忌々しさを覚えた。罵言を吐きかけて、だがクレメンシェトラは「そうではないのだ」と苦笑する。
「もしケレスメンティアが滅ぼされるなら、それは大陸の闘争が許容量を超えたということだ。
 その時には大陸は再分割され、一国に一島が与えられることになっていた」
「一国に一島?」
「継承者の数を基準に想定されているから十二分割だな」
「いや、そんなに割ったら大陸ぼろぼろになるだろ。地盤やばいんじゃないか?」
「そうだな。今は支え直す神もいない。実際のところ起きるものは大陸の沈没だ」
クレメンシェトラの表情はその時、微笑を浮かべてはいたものの、ひどく哀しそうに見えた。アージェは眉を顰める。
「馬鹿馬鹿しい。というか馬鹿か? ちょっと考えればそれくらい分かるだろ」
「愚かなのだ。どれ程知識を蓄えようとも全てを知ろうとも、それを使うことが出来ぬのだからな。
 ―――― お前が尋ねた終わりの箱と真実の扉はいわば、同じものを指していると言っていいだろう。
 神殿の奥にある神域の間こそが『櫃』であり、その扉を開けた中には全てを知る平定者が眠っている」
「終わりの箱と真実の扉が?」
今は亡き二人が探し続けていた伝説。その二つが同じものを指していたのだという。
アージェは、彼らがあてどなく求めていた道の終点が近くにあると知って、だが喜ぶことは出来なかった。一つ一つを整理しながらクレメンシェトラに確認する。
「神殿って大聖堂の奥にあるやつだよな。一度お前と途中まで行った」
「ああ」
「そこに問題の部屋があると。で、中には平定者とやらが眠っていて、起きたら神の槍を使うのか」
「平定者自身が神の槍と言った方が近い。神の槍とは武器の名称ではあるが、存在の名でもある」
「ややこしい」
「こういったものは口伝で広まるにつれ、少しずつ変質して伝わっていくからな。そのせいだろう」
伝説の一人歩きは確かに彼女の知るところではない。
女官姿がまったく似合わぬ女に、アージェは探る目を向けた。
「その平定者とやらとお前は知り合いなのか?」
「ああ。あれは初めからいた。神の作りし忠実な召使だ」
深い溜息は自嘲の色が濃い。クレメンシェトラは振り返ると女皇の正装を拾い上げた。それを丸めて棚の奥へと捻じ込む。
「ともかく急いだ方がいい。皇杖は既に壊れている。レアリアも知らなかったこととは言え、条件はあと一つだ」
「大聖堂の陥落か」
城に侵入者がいる現状、それは起こらない事態とも言えない。
他にこのことについて知る者もいない以上、彼らが陥落を防ぐしかないだろう。
だがそこまで考えてアージェは、「それでは駄目なのだ」と気付いた。彼は振り返ったクレメンシェトラを見る。
「……もう一つの条件は、お前の死だったよな」
「ああ。この私が消えればどの道、神の槍は発動する」
「なら」
―――― クレメンシェトラを消すことは、やはり出来ないのか。
楔が消えれば大陸から魔法士が失われると聞いた時も、確か似たことを思ったのだ。
だがアージェは魔法の存続よりもレアリアの命を重んじた。大陸に訪れる不自由を、主人と引き換えにしようと思っていたのだ。
しかしそれも、大陸自体が失われてしまうのであれば話は変わってくる。
アージェは漠然と絶望を覚えかけた。クレメンシェトラは目をまたたかせる。
「どうした」
「いや」
「まさか諦めかけているのか? お前らしくもないな。もっと分かりやすい道があるだろう」
「分かりやすい?」
何のことか、咄嗟に判断しかねた青年に女は微笑む。
その微笑は晴れ晴れとして、何処か楽しげでもあった。クレメンシェトラは指を立てて彼を指す。
「簡単なことだ。──── お前がその手で神の槍を壊してしまえばいい」
かつて大陸を焼き切り五つに分けた武器。
あまりにも強大すぎる伝説のそれを、壊してしまえばいいと笑う彼女に、アージェは我に返ると「は?」と声を上げた。



神の槍を壊す。まさか自分にそのような役割が回ってくるとは思わなかった。
アージェは驚きから覚めるとクレメンシェトラを睨む。
「何を考えている?」
「何も」
彼が神の槍を壊さなければならないのは、クレメンシェトラを消してレアリアの寿命を戻したいが為だ。
だがクレメンシェトラ自身は何故そのようなことを指嗾するのか。
アージェが追及しようとすると、彼女は「気にするな」と笑った。
「私も思い始めただけだ。少し長すぎたのではないかと」
「ケレスメンティアの支配がか?」
「そうだな……いや」
彼女は目を閉じる。
「私が、長く生きすぎた。元々悠久を生きられる程強くはないのだ。感情が多すぎる。
 正直……この機会を逃せばもう解放されることはないかもと思ったら、疲れてしまった」
「クレメンシェトラ」
名を呼ぶと女は困ったように笑った。そのような表情をしていると、彼女もまた普通の人間のように見える。
「疲れたからといってさすがに大陸を道連れにするわけにもいかぬからな。
 お前の選択が人間の答というなら、それに乗ってみてもいい」
「神の命令を守らなくていいのか?」
「神の望みは叶わなかった……のだと思う」
「望み?」
そのようなものがあったのかと、アージェは目を丸くしたが、クレメンシェトラは苦笑するだけで先を言うつもりはないらしい。
彼女は腕を上げると大聖堂の方角を指差した。
「守りたいものを守ろうと思うなら、急げ。私のことを信用出来ぬのならレアリアと相談しろ。
 あまり肉体を動かしすぎると忘却処理に侵食されるからな。私はもう閉じる。他に聞きたいことはないか?」
質問の機会を与えられたが、何を聞くべきかもよく分からない。アージェは「特にない」と言おうとして、ふと一つだけ気になることを思いついた。
「お前は、こうやって本当のことに気づいたのは、これが初めてなのか?」
長い歴史。多くの女皇やディアドに触れて、今まで一度も疑問を抱くことはなかったのか。
そう問う青年にクレメンシェトラは軽く瞠目すると、何もない空中に哀惜の目を向けた。口元だけが微笑む。
「さぁ、どうであろうな。気づいて疑問に思ったとしても、忘却処理がかかれば全て忘れる。誰とどのようなやり取りをしたかもな。
 だからお前もそのようなことを気にするな」
「クレメンシェトラ」
「急げ」
唐突な言葉と共に女は視線を落とす。
次に彼女が瞼を上げた時、その瞳には別の意志が見えた。
アージェは無意識のうちに息をつく。
「レア。今の聞いてたよな」
「ええ」
「どう思う?」
クレメンシェトラより余程鋭い思考を持つ彼女は、形のよい眉を寄せた。
「普通に考えるなら罠だと思う。神殿には何かがあって、それで私たちを捕らえるつもり」
「なるほど」
「と、思うわ。常識的には」
持って回った言い方にアージェの予測は確信へと変わった。彼は緊張した面持ちの女を見下ろす。
「直感的には?」
「おそらく、本当の話」
「そうか」
生まれてからずっとクレメンシェトラと共にいたレアリアがそう言うのだから、神の槍については事実なのだろう。
頷くアージェに、それでも彼女は可能性を捨てたくないのか聞き返した。
「アージェはどう思った?」
「ん? あー、これって俺の私情抜きで本当にそうじゃないかと思ってるんだけどさ」
「うん」
「クレメンシェトラは、嘘が下手だ」
予想外の言葉にレアリアはきょとんとする。
ふわふわとした小さな白金の髪。その頂きをアージェは撫でると、「だから俺も本当だと思う」と付け足したのだった。