悠久を誓う剣 212

ケレスメンティア兵を避けての移動は容易くなかったが、少しずつ大聖堂には近づいているようである。
何人かの犠牲者を出しつつ包囲網を突破したアリスティドたちは、建物の影で追っ手を撒くと現在地を確認した。エルがこれまでの道を整理する。
「もうあと少しですね。概算ですが半分くらいは過ぎています」
「ではもう一頑張りだな」
アリスティドは頷いたが、そのあと半分も困難な道程になるだろう。
エルは転移門を使って外から増援を召喚するか迷ったが、さすがに城の敷地内で無許可の転移を使えば居場所が割れやすくなる。
彼女は諦めて現状人数での突破を決めると、周囲の様子を確認することにした。離れの倉庫らしき建物の影から顔を出す。
城門の方に上がる白煙。遠くからは兵士たちの怒声が聞こえてきた。
近くに敵兵がいないことを確認した彼女は、主君にその旨報告しようとする。
だがその時、上空から数人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「何?」
顔を上げた彼女は、向かいに見える城の外回廊を誰かが走っていることに気づく。
それは目を凝らすと、一人の女と、彼女を追う数人の神兵たちだった。
淡い紫の衣。この国では特定の貴人しか纏わぬその色に、エルは思わず絶句する。背後からアリスティドが問うた。
「どうした?」
「で、殿下」
「む?」
男もまた、回廊を逃げる女に気づいたらしい。秀麗な顔立ちが厳しいものになる。
「これはいかん! 助けるぞ!」
「殿下!?」
言うなり飛び出して回廊下へと走る男に、他の者たちは顔色を変えた。慌ててその後を追う。
じくざぐと庭木の間を駆けていくアリスティドは、野生の感で敵兵のいないところを察しているのか、誰に見咎められることもなく回廊下へと向かっていく。みるみる引き離されそうになる男の背を必死で追いながら、エルは肩で息をした。彼を制止したいが全力で走っている為それが出来ない。
「殿……下……彼女……は」
―――― 殺さなければならない人間の一人だ。
そう言おうとして、だがエルはおかしなことに気づいた。何故、統治者たる女皇が自国の兵に追われているのか。
城の中で起きていたらしき騒ぎと関係があるのか、彼女は纏まらない思考を追う。
アリスティドはその間に庭を抜け、回廊のすぐ下へとたどり着いていた。
いくらなんでも城から近すぎる位置。エルは主君を下がらせようと口を開く。
しかしアリスティドはそれより早く彼女を呼んだ。
「エル! 上にあげてくれ!」
「殿下!」
二人の声は回廊の上にも届いたのだろう。女は走るのをやめ、手すり越しに彼らを覗き込んだ。
その表情はヴェールで見えない。ただ紗布の下から垂れる白金の髪だけが揺れている。
エルは主君の意に添うべきか彼に説明をするか、束の間逡巡した。 女は自分を追ってくる神兵たちを振り返る。
一瞬の空隙。彼女は視線を戻すと手すりの上に体を乗り出す。
そしてそのまま、アリスティド目がけて頭から身を投げた。
「エル、受け止めろ!」
「っ、殿下!」
二人の叫びが交錯する。
エルは後ろから主君の右腕に抱きつくと、その体を強引に後ろへ引いた。口の中で詠唱する。
とても長く感じられた数秒。アリスティドは目を見開いて、落ちてくる女を注視した。ヴェールが舞い上がりその瞳が見える。
澄んで青い瞳。空を溶かしたような色。
そして女は、彼の眼前に墜落した。



飛び散った血肉は広範囲に渡ったが、アリスティドの体を汚すことはなかった。
結界を張って主君を守ったエルは、女の死体を見下ろす背に告げる。
「ご命令を守れず申し訳ありません。ですが、その方はケレスメンティアの女皇です」
「女皇? 何故女皇が」
分からない、とエルが答えようとした時、回廊の上から兵士たちの声が聞こえた。先程の彼女と同じく身を乗り出して叫ぶ。
「陛下が転落なさったぞ!」
「あそこだ! 侵入者だ!」
回廊からの声に、彼女は顔色を変えると主君を急き立てた。
「殿下、離れましょう!」
他の騎士たちも周囲を見回す。だがアリスティド本人だけは動かず女の死体を見ていた。
エルがもう一度急かそうとした時、男は不意に羽織っていた自分の外衣を外す。それをそっと遺体の上に被せた。
近づいてくる追っ手の声。ようやく走り出した主君について逆の方向へと遠ざかりつつ、エルは背後を振り返る。
「どうして女皇が……事故でしょうか」
「いや、覚悟の上だった」
きっぱりとした返答はアリスティドのものだ。彼女は驚いて主君を見上げる。
「目を見た。あれは死ぬつもりだった。その上で私を道連れにしようとしていた」
「そんな……」
―――― この国に何があったのか。
エルはぞっと背筋が冷えたが、それ以上は何も言えない。
ただ誰にも侵されぬ神の国であった皇国は、混乱の中、確かに少しずつ瓦解しているようだった。



神殿に向かい神の槍を破壊する為には、一刻も早くそこに行き着かなければならない。
破壊し終わる前に大聖堂が陥落しては大陸が分割されてしまうのだ。アージェとレアリアは倉庫を出ると、近くの窓から外庭に下りた。庭の木々の間を縫って西側にある大聖堂へと向かう。
現在全体の戦況がどうなっているのか、知りたくはあったがそれを聞き取る時間はない。
既に城内には侵入者がいるのだ。アージェは主人を庇いつつ、遠目に見える大聖堂へと向かった。騒々しい空気が彼らを急き立てる。
「レア、神の槍ってどんなのか知ってるか?」
「し、知らない……神殿に入ったことないの。クレメンシェトラの剣があるとは聞いてたけど」
「ああ、そんなこと言ってたな」
クレメンシェトラに案内され神殿への通路を歩いた時、確かに彼女は「私の剣」と言っていた。
その剣と神槍はやはり別物なのだろうか。いまいち情報が足りない気もするが、行かなければならないことには変わりがない。
彼らは草を踏んで広い庭を駆ける。レアリアが息を切らせながらアージェの手を強く握った。
「ご、ごめんなさい」
「何だよ。もう謝るなって」
「でも私が、余計な、ことした、から」
アージェは主人の後悔を思って沈黙する。
神の槍の存在を知らなかったレアリアは、その発動条件もまた知らなかったのだ。
ただ自分に許された時間内で、大陸を縛する皇国とクレメンシェトラを排そうと動いていた。
しかし結果としてそれは今、大陸の危機を呼び込むことになってしまっている。
余計なことをしなければよかった、と彼女が思うのも無理はない。だがアージェは、彼女にそのようなことを言わせたくはなかった。握る手に力を込める。
「大丈夫だ」
「アージェ」
「ずっと眠ってた武器だ。今までもそうやって大陸を盾に、人が逆らわないよう圧してたってことだろ」
―――― 或いは誰よりもクレメンシェトラこそが、そうして抑えられていたのかもしれない。
幾重にも投げかけられた支配の鎖。アージェは行き場のない憤りに焼けるような衝動を覚えた。ただ一人、それに逆らった女に言う。
「だからレア、俯くな。これくらいで屈するなよ。それじゃ相手の思う壺だ」
ここで退けば全てが無になるだろう。ついた傷は癒され、いずれは同じことが繰り返される。
だがそれでは意味がないのだ。青年は黒い左手を握った。
「俺が絶対何とかする。必ずお前を勝たせる」
大聖堂はもう近い。アージェは別方向から人の気配を感じて足を止めた。主人を留め、剣を抜く。
「信じろ。その為のディアドだ」
女皇の騎士は、そしてもう一人の継承者に向けて剣を構えた。

庭の南側から現れた人間は、アージェのよく知る男であった。
セーロンの庶子王子であるアリスティド。今まで何度も剣を交えた相手を、アージェは冷ややかな目で見やる。
「何だ、侵入者ってお前か」
「む、久しぶりだ。ディアドになったと聞いたが、本当だったか」
「とりあえず俺は忙しいから帰れよ」
言いながらアージェは気を抜かない。
このようなところに彼らがいるということは、神兵たちに追われてきたか、最初から目的地が大聖堂であるかのどちらかだろう。
後者だとしたら見逃す訳にはいかない。アージェは、顔と剣の腕だけは秀でているこの男が「話が通じない頭」の持ち主であることをよく知っていた。背後の女に囁く。
「すぐに片付けるからちょっと待ってろ。後ろ下がって」
「でも、アージェ」
「大丈夫」
相手はアリスティドの他に、いつも彼についている女魔法士のエル、そして騎士が四人といったところだ。
元はどれだけの人数で侵入してきたか分からないが、ここまで来られたのもアリスティドの力が大きいのだろう。
その男はこれまでとは違う怒りのこもった目で青年を睨んでいた。
アージェは右手で剣を支えると、左手を上げる。
「帰らないなら放り出すだけだ。悪いけど本当に時間がない」
「殿下っ!」
黒い幕が広がる。それはアリスティドたち全員目がけて空中に広がり、彼らに襲い掛かった。エルが結界を張り幕を防ごうとする。
薄幕は不可視の結界に阻まれてその表面に張り付いた。だがそれも一瞬のことで、すぐに幕は横一直線に切り裂かれる。
アージェは結界ごと異能を斬った剣に、さすがに唖然となった。
「まじかよ。どうなってんだ」
「気合だ!」
「阿呆か……」
気合はともかくとして、アリスティドは継承者であり、以前はただの長剣で選出者の残滓と戦ったこともあるのだ。
これは澱を切れる相手と思っていた方がいいだろう。アージェは向かってくる男へ更に左手を振った。
槍状となった澱が真っ直ぐにアリスティドへと伸びる。
「効かん!」
伸ばされた先端へと振り下ろされる剣。だが槍はその時、急に角度を変え、主君を守ろうと走る騎士へ向かった。
「な……っ!」
とっさに対応しきれない騎士は、避けようとして右腕を貫かれる。槍はそのまま更に後ろにいた騎士をも跳ね飛ばした。
取り落とされた剣。短い悲鳴が上がる。
アリスティドは驚きつつも足を止めずにアージェへ切り込む。アージェはその剣を自身の剣で受けた。
「よくも彼らを!」
「多対一で何言ってんだよ。文句あるなら手出しさせるな」
槍を食らった騎士も死んだわけではない。エルが屈んで魔法の治癒を施していた。
アリスティドは剣を振るいつつ、横目でそれを確認する。
「君は何をしたいのだ! こんなところで何をしている!」
「言ったら帰ってくれるのか? 俺には俺の都合があるんだよ。立っていられる地面があるうちにな」
「それで主君を死なせてもいいというのか!」
剣と共にぶつけられた弾劾の言葉。
アリスティドの剣を弾いたアージェは数歩下がった。後ろにいたレアリアと顔を見合わせる。
「何? 何て言った?」
「女皇は死んでしまったぞ。君のいぬ間にたった一人でな」
「死んだ?」
何を言われているのかよく分からない。アージェは左手を伸ばすとレアリアの頭をわしわしと撫でた。
「うん?」
「あ……」
主人の実在を確認するディアドに対し、女官姿のレアリアは思いあたることがあったらしい。両手で口元を覆うと青ざめた。
「まさか、ベルラが」
女皇の影を努める女。
この城でレアリアと間違えられる可能性がある人間といえば、彼女一人しかいない。
アージェは主人の言葉に表情を変える。改めてアリスティドへと向き直った。
「……それは、お前が殺したのか?」
「そのようなことを気にして何になる? 守れなかった主人への償いが出来るというのか?」
「―――― 他の人間下がらせろ」
低い声は、明らかにそれまでアリスティドを揶揄していたものとは異なっていた。
アージェはレアリアをその場に残すと男の前に進み出る。
氷を思わせる視線に、だがアリスティドは怯むことなく左手を上げた。背後の人間に動かぬよう指示する。
「こうして君と剣を交えるのは何度目だ?」
「四度目。それくらい覚えとけよ」
ディアドの青年は吐き捨てるようにそう言うと剣を構えた。
「そして、これが最後だ」