悠久を誓う剣 213

アリスティドの剣は、重さと速さの均衡を高い水準で保っている。
それはまるで騎士の手本のような剣で、だがアージェは彼の剣がもっと速いことを知っていた。降りかかる長剣を上に弾く。
「本気出せよ。時間が惜しい」
侵入者がアリスティドたちだけなら、ここで彼らを足止めしておくことも有効ではあるが、他に大聖堂に向かっている人間がいないとも限らない。 アージェが踏み込んで剣を払うと、アリスティドは真顔で頷いた。
「分かった。全力で相手をしよう」
宣言と同時に構えなおされた剣は、刃の根元に年代がかった装飾が施されている。
柄もそうであるからして何か由来のある剣であるのかもしれない。
アージェはしかし、何ら感慨も恐れも抱かず男の剣に相対していた。周囲の人間は二人の戦いを息を飲んで見守る。
風の音はない。遠くの喧騒も、意識を集中すれば気にならなくなった。
アリスティドはざりと音を立てて爪先に力を込める。
ゆっくりと見えた剣の動き。だがそれは何の前触れもなくアージェの眼前へと迫った。振るわれる白刃を青年は上体を反らして避ける。
身を低くしたアージェは、男の胴を薙ごうと長剣を振るった。硬い金属音が響き、反動が返る。
振るわれる剣の一撃一撃は、少しでも身に受ければそれで勝負が決せられる程の重みがあった。
アージェは長剣を軽々と扱い、男へと切りかかる。アリスティドは淡々とその刃を受けながら、致命の瞬間を狙っているようであった。
男の狙いを読みながら、アージェは周囲へと注意を払う。
―――― セーロンの騎士は動く様子はない。だがそれは、主君が優勢であるうちだけだろう。
特にエルは、アリスティドが危機に陥れば必ず魔法で介入してくる。
アージェは彼らの動きも計算に入れて、この強敵を下さねばならなかった。
右に動こうとした青年は、草に足を取られて僅かに態勢を崩す。
アリスティドは生まれた隙を見逃さず、気合の息と共に剣を振り下ろした。レアリアが背後で息を呑む。
しかし次の瞬間飛び退いたのは、アリスティドの方だ。
男の腹を切り損ねたアージェは舌打ちしたげな顔になる。
「惜しい。引っかからないか」
わざと見せた隙は罠であったのだが、アリスティドは寸前でそれに気づいたらしい。憤然とした目でアージェを睨む。
「おのれ、複雑な真似を!」
「いや全然複雑じゃないだろ。常套手段だ」
「騎士の風上にも置けぬ!」
「じゃあ風下に置け」
軽口を叩く青年に向けて、アリスティドは間合いを詰める。
怒りの為か一層速くなる剣にアージェは舌を巻いた。本能で剣を振るう男を相手に防戦に回らされる。
重い剣は一撃受けるごとに刃に皹を入れていく気がした。いつか遺跡で剣を砕かれたことをアージェは思い出す。
「……っ!」
アリスティドの向こうに見えるエルは、不安げな表情ながらも主人の勝利を疑っていないようである。
その確信は、翻ってアージェに焦燥を抱かせる。切れ間ないアリスティドの剣に押され、彼は少しずつ下がっていった。

息をつく余裕もない打ち合いは、一度でも受け方を間違えれば後が続かないだろう。
高い剣戟の音。アージェはこの音が新手を呼び込んでしまわないか危惧を抱いた。
アリスティドが上から強烈な一撃を打ち込んでくる。
「何処を見ている!」
「いや、あんたを見てるよ」
余所見をすれば待っているものは死だ。はなから脇見をしている余裕はない。
アージェは何故そのようなことを言われるのかと顔を顰めた。すかさず降りかかってきた男の攻撃を、両手に握った剣で受ける。
そうして剣を払いのけた空間に踏み込みながら、青年は視界の端で、セーロンの騎士たちが動いていないことを確認した。
遅れて聞こえる音。側頭部に迫る剣。
次の瞬間アージェは、寸前で刃を避け草の上を転がった。回転する視界。切られた髪が落ちていくのが見える。
青年は体を起こすと思わず口を開いた。
「あっぶね!」
「余所見をしている方が悪い!」
「だからしてないって―― 」
反射的に言い返しかけた青年は、だが不意にあることを思い出した。
かつて騎士だったというアナが彼の剣を見て指摘した感想。「常に周囲を気にしている」とのそれを、アージェは今更ながら思い出す。
彼は目を見開いて己の視界を捉えた。
―――― 自分では目の前の敵に集中していると思っていた。
だが実際はそうではなかったのだろう。アージェはアリスティドと戦いながら、エルやセーロンの騎士の様子をも把握していたのだから。
アナに言われて、一時は視野を意識的に切り替えられるようになっていたのだ。けれどこの騒動で追われる身となったアージェは、主人を守る為、周囲全てに気を配っていなければならなかった。そしてその意識のまま、今までアリスティドに対していたのだろう。
ようやく自覚を得た青年は気の抜けた思いを味わい、小さな溜息をついた。アリスティドが眉を顰める。
「どうしたというのだ?」
「いや……確かに俺、今まで余所見してた」
「そうであろう!」
「ああ。これからは気をつける」
アージェは首肯すると改めて剣を構えた。
鈍く光る長剣。その先端までもが自身の体の一部であるよう意識する。
彼はセーロンの人間たちと、そしてレアリアを順に確認して頷いた。
そして次に、その場にいる全員を覆うよう広げていた意識を、少しずつ狭めていく。
下りていく帳。世界の領域を決めるのは常に自分だ。アージェは意識の中央にアリスティドだけを残すと、深く息を吐いた。
鮮明に見える景色に向かい合う。
「よし」
踏み出した足。
彼の感覚はこの時、先程までとは比べ物にならない程、鋭く研ぎ澄まされていた。

吸って、止めた息。
アリスティドまでの距離はほんの一瞬で詰められた。男の顔に驚愕が浮かぶ。
だがアージェはそれを見ても平静のままだ。彼は白刃を相手の首目がけて振るった。アリスティドは仰け反って刃を避ける。
空隙はない。そのようなものを生む気はなかった。
アージェは更に半歩踏み込んで追撃をかける。切り上げた刃先が男の鼻を掠めた。
―――― 殺す為の洗練を称して、「最適化」と表現したのはアナだったろうか。
騎士の型が目指すように最短の道をなぞって、アージェは男の間合いを削っていった。
アリスティドは後退しつつ、だが青年の剣を受けると口元で笑う。
「面白い! やる気になったか!」
「少なくとも今はな」
相手に避ける隙を与える気はない。
アージェはぴったりと同じ距離を維持しつつ、己の白刃を閃かせた。短い斬撃がアリスティドの髪を揺らす。
今は相手がどのように剣を動かしどのように攻撃を防ごうとするのか、数瞬先まで分かる気がした。
速くなる金属音。アージェはあえて攻勢を緩めると、向かってくる長剣を待って最小の力で外に逸らす。
まったく抵抗を感じずに刃を流されたアリスティドは、敵の眼前で目を丸くした。生まれた隙に、アージェは男の胸目がけて剣を突く。
決定的な一撃。
彼の意識の中でアリスティドは、胸を血に染めて倒れた。―――― そうなるはずだった。
だが実際のところ、上がったものは硬質な金属音である。アージェは予想を超えた結果に唖然となった。
あり得ない速度で剣を引き、直前で刃先を留めたアリスティドは、もっともらしく頷く。
「やはりディアドになると剣を正されるのだな。荒さがなくなっている」
「あんた、本当に人間か?」
「だがな、正しいだけでは勝てぬのだ。それにつまらぬ!」
強く剣を押し返されたアージェは、何とか身を屈めて追撃をかわした。そのまま無理な体勢になりかけ、牽制の剣を振るいながら距離を取る。
アージェは更なる攻勢を用心したが、アリスティドには距離を詰めてくる様子がない。その場に留まって真面目くさった調子で続けた。
「正しさを突き詰めて勝てる相手も勿論いるが、それが全てではないだろう。
 強さとは、時にもっと凄いものではないか? 予想を覆して悪を砕く!」
「いや、全然分からない。何言ってるんだ?」
「無茶苦茶でもよいと言っているのだ。以前の君は、それをよく知っていたのだと思うぞ」
「……前の俺?」
何を指して言われているのか分からない。
生きる為の戦場を渡り歩いてきた青年は、周囲に強く注意を払うがゆえに敵への反応が鈍っていたのだ。
それを変えて集中範囲を狭め、騎士の型に則って最小最短で動けば、勝てなかった相手にも勝てるのだと思っていた。
事実シャーヒルを下せたのはその切り替えがあったからだ。だがアリスティドは顔を顰めるアージェにかぶりを振った。
「分からないなら剣を取った最初の頃を思い出してみればよいのだ。
 君にとって強さとは何であった? 強い人間とは誰であった」
「強い人間って、そりゃ―― 」
アージェにとって、その問いに当てはまる人間は一人だ。
誰よりも強くて優しかった男。広く遠い背中を青年は思い起こす。
予想を覆す程の力。その力が引き起こすことを、無茶苦茶だといつも思っていたのだ。
だが瑣末なことに縛られぬ男の手は確かに、多くの敵を跳ね飛ばして、多くのものを守っていった。
自分の知る限り正面からは決して誰にも負けなかった男を、アージェは改めて見つめ直す。
「ああ、そういうことか……」
すとんと腑に落ちる思い。
アージェはその時、一つの道に辿り着いた気がした。



張り詰めていた緊張が解けたかのようにアージェが視線を落とすと、アリスティドは剣を下ろした。
「どうする? 色々反省したいこともあるだろう。次回まで待って! ということなら考えなくもない」
「いや、次回はない。お前は彼女を殺した上、大聖堂に行くんだろう?」
「彼女を殺したのは私ではない。だが無関係でもないだろう。大聖堂に行くことは確かだ」
「そうか」
ベルラがどのような死に方をしたのか、聞きたくはあったが、それだけが全てではない。
アージェは改めて剣を上げる。その切っ先をアリスティドに向けた。
「やっぱりここは退けない。これで最後にしよう」
「君がそういうのなら」
抜き身の剣は、いつでもその時の自分を映すように思える。
何も知らぬ子供であった時も、諦観を抱いて旅していた時も、そこに現れるのはいつも自分だった。
アージェは剣身から視線を上げる。
「行こう」
草を蹴って前へ。
アリスティドに肉薄する。男はそれを待っていたように剣を振るった。
首を切り落とすべく刃が迫る。アージェはその一閃を身を屈めて避けた。
そのまま躊躇わず相手の懐に飛び込ぶ。近すぎる距離。アリスティドは笑った。素早く剣を引こうとする。
だがそれより早くアージェは左手を離し、男の右肘を掴んだ。
一瞬留められた剣。男が目を丸くする。青年は自身の剣も手放し、拳を振り上げた。

自分の型を決めていたのは自分だ。
限界も視界も、全て自分で定めていた。その中で足掻いて、そうして先を目指そうとしていたのだ。
あり得ることしか起こらない世界―――― だが自ら作った型を壊せないはずがないだろう。

振りぬいた拳は男の顔を綺麗に捉え、その体ごと跳ね飛ばした。
アリスティドは草の上を一回転して片膝をつく。左手で顔を押さえたその鼻先に、アージェは拾い上げた剣を突きつけた。アリスティドの剣は先程の衝撃で草の上に落ちている。青年は顔を僅かに傾けて男を見下ろした。
「……で、俺の勝ちってことでいいか?」
「うむ。予想以上に面白かったぞ!」
「鼻血拭けよ。笑顔が怖い」
もっともな指摘に、アリスティドは困ったように血塗れになった左手を見下ろした。その間にも更にぽたぽたと血が滴り、男はエルを振り返る。女は蒼白な顔色で、主君と剣を突きつける男を見ていた。
「で、殿下……」
「困ったぞ。血が止まらない。かなり痛い」
あまりにも緊張感がないアリスティドとは別に、現状をよく把握しているらしきエルは、その場に両膝をついた。アージェに向かって頭を垂れる。
「どうぞ、ご慈悲を……」
「って言われてもな」
震える声は、彼女にとってアリスティドが無二の主人であることを示していた。アージェは自身の主人を振り返る。
「どうしますか」
殺しておいた方が無難だとは思うが、相手は王族だ。レアリアの意向を尋ねた方がいい。
女官姿の女皇は問われてじっとアリスティドを見つめた。小さな唇が動き、細い笛に似た声が響く。
「彼女の死について、教えてください」
それが誰のことであるか男もすぐに分かったらしい。彼は背筋を伸ばすとレアリアを見た。
「城の回廊から身を投げた。私に気づいて、道連れにするつもりだったのかもしれない」
「……そうですか」
消え入りそうな声。それはレアリア個人の慨嘆であったのだろう。
だが目を伏せた彼女が次に顔を上げた時、そこには哀惜の色はなく、代わりに動かしがたい威厳と気品が浮かんでいた。
空気を変えたレアリアは男へと問う。
「―――― 継承者よ。これから先の道を選びなさい。
 今ここで死すか、国に帰り沈黙するか……。それとも、私たちと共に来て、大陸を割らんとする神の武器を破壊するか」
「ふむ? ……神の武器? 神具か?」
「大陸を割る!?」
アリスティドとエルの声が重なったが、レアリアはそれに対し頷いただけだ。
唐突な話に驚いているのか、いまいち飲み込めないような顔をしている男に、アージェは溜息交じりに付け足す。
「本当のことだ。大聖堂が陥落するとケレスメンティア滅亡と看做されて、神の槍が発動するんだよ。俺たちはこれからそれを止めに行く」
「なんと! 神の槍は実在したのか!」
「してなきゃよかったのに、って思ってるよ」
投げやりな言い方ではあったが、アリスティドはそこに自分なりの真を見出したのかもしれない。しばらく考え込んでいたが、真面目な顔になると袖で顔の血を拭った。
「では私もそれを止めに行こう。大陸を割られては我が民も困る」
「ならば誓いなさい」
「アリスティド・セルグ・ノイ・セーロンはこの名にかけて、君たちと共に戦うことを誓う」
「で、殿下」
エルは慌てた素振りを見せたが、主君が己の名において誓ったことに口出しは出来ない。
レアリアは男の誓約を聞いて重々しく頷いた。
「友人の最期を教えてくれたこと、感謝いたします。
 ―――― 誓いを受け取りし我が名は、レアリア・ルウザ・ディエンティア・ディテイ・ケレスメンティア。
 神代を清算し、その支配に幕を引く者です」
「む?」
「じょ、女皇……」
唖然とするセーロンの人間たちを前に、アージェは平然とアリスティドに手を差し伸べる。
その手を取って立ち上がった男は、青年とレアリアを順にまじまじと眺めると、「なるほど」と納得の声を上げたのだった。