悠久を誓う剣 214

風が変わる。
その気配は一瞬先に草原の上を駆け抜け、戦場にいるアナの元へと届いた。
騎乗して戦いに加わっていた彼女は、振り返って遥か後方を凝視する。近くにいた魔法士がそれに気づいて振り返った。
「いかがいたしましたか」
「……何でもないわ」
気のせいかもしれないが、今のところは何も言えない。
真実風が変わるのならば、それは自分たちにとって悪い方向へは働かないだろう。
アナは剣を取り直すと視線を巡らせた。城外の草原を舞台に、拮抗している両軍を眺める。
数で劣るケレスメンティア軍が、二国を相手にここまで互角に戦えているのは、やはり総指揮官の力が大きいからに違いない。
諸国にその名が知れているガイザスは、守るべき城を前に自身の力を全て費やしているようだった。
彼女は息をつくと、皮の手袋越しに剣の柄を握りこむ。手綱を取り、前へと出た。
数年前からの布石。その決着がつくのは今日だ。ここで退くわけにはいかない。
アナは今だけは全てを忘れ、自身がただの剣であるかのように息を止めると、鐙を踏みしめ前線へと向かったのだった。






大聖堂へと走る間、レアリアはアリスティドたちに今までのことをかいつまんで説明した。
アージェなどは「説明しても無駄なんじゃ」と思ったが、彼の主人は短い時間でアリスティドについて大体把握したらしい。時に比喩を用い、また時にエルから補足させ、必要な情報を一通り彼に伝え終えた。
大方を理解したアリスティドは息荒く感想を漏らす。
「ケレスメンティアが大戦を作り出しているという話は知っていたが、神自身の教えがそうであったとはな! 吃驚だ!
 それは知らずにいた人々も不幸なことであろう。ただやはり、神と人とは大分感覚が違うものなのだな」
「俺はあんたがケレスメンティアの裏を知ってたってことの方が吃驚だよ」
レアリアが説明に回っている為、アージェは彼女を背負って走っているのだが、隣を走るアリスティドは二人に顔を向けると自慢げに笑った。
「フィレウスが教えてくれたのだ! 分かりやすく年表を使ってな!」
「ああ、あの人か……。確かにイクレムには代々妙に敏い王がいるって聞くしな」
フィレウスが、ケレスメンティアを仮想敵と看做しているのではないかということは、アージェも早くから気づいていた。
だがその理由がまさか、ケレスメンティアの実情に気づいている為とは思ってもみなかったのだ。
男の慧眼に感心したアージェは、ふとユーレンが街中で拾ったという年表のことを思い出す。
「あ、ひょっとして年表ってあれか。そういやユーレンの本をフィレウスの弟が買ったって言ってたな」
「セノワ殿は今日の日の為に、自ら尽力なさっていたからな」
「殿下!」
エルの悲鳴じみた制止を聞くだに、彼らにとってそれは重要機密であるのかもしれない。
だがアージェは大してそのことに興味も引かれなかった。ずり落ちそうになる主人をゆすり上げる。
「ま、細かいことはいいさ。どうせ俺たちも追われてるからな。背信者とか言われて」
「もう大丈夫だ! 私は味方だ!」
「何か不思議と安心出来ないな……」
王族であり、また剣の腕も秀でている人物にもかかわらず、味方としては妙に不安な男である。
荒唐無稽な話をあっさり信じてくれたことと言い、常識で判断出来ないところを多々持っているのだろう。
ただ彼が味方についているのなら、侵攻軍による大聖堂の破壊は食い止めることが出来るはずだ。
発動が留められれば、その間に神の槍を破壊すればいい。少なくともこれまでのように時間に追われることはなくなるだろう。
あとの問題は「ケレスメンティア兵は味方ではない」ということだけだ。アージェは雲のない空を見上げる。
「あんたたちで大聖堂守ってもらってても、普通のケレスメンティア兵は攻撃してくるからな……。
 勿論俺たちも見つかったら不味いし。誰かケレスメンティア側で信用おける奴引き込めればいいんだけど」
「友達がいないのか? 私が友達になってやろうか?」
「それ、全然解決になってない」
今必要なのは、友達ではなく人手である。アージェは考えながらも建物の角を回り、ついに大聖堂前へと到着した。
白い石造りの大きな建物。普段であれば入り口には衛兵が二人立っているのだが、今は非常時である為か誰の姿も見えない。
入り口へと続く渡り廊下の上で、彼は背中からレアリアを下ろすとその手を取った。浮かない顔で周囲を見回す。
「どうしたの?」
「いや、何か……」
「誰かいるな」
肌に感じる違和感を、そのまま言葉として呈したのはアリスティドだ。
男は先程まで骨が砕けていた鼻を指でさする。そうして匂いで何かが分かるわけではないだろうが、視線を感じているのはアージェも同様だった。青年は抜いた剣を手に注意深く草陰を睨む。
「出て来いよ。来ないならこっちから行く」
投げかけた警告は月並みなものであったが、相手にはそれで十分だったらしい。
がさがさと草を揺らして体を起こした男は、アージェを見て苦笑する。
「見えてた?」
「いや、気配」
「それは凄いな」
魔法着姿のロディは感心したように声を上げると、青年の後ろに立つレアリアを見つめ、すっと頭を垂れた。

友達がいないことを心配されたばかりのアージェだが、この国に友人はいなくとも、比較的親しく言葉を交わしてきた人間というものは存在する。そのうちの一人であるロディとの再会に、青年は警戒心を抱かないわけではなかったが、それ以上に「ちょうどよかった」との安堵を覚えた。ケレスメンティア内でそれなりに顔の知れている人間を味方に引き込めれば、大聖堂を守ることも容易くなる。
アージェは左手を軽く上げて話をしたい旨を示した。
「実は頼みたいことがある。俺たちが大聖堂に入る間、ここに人を入れないで欲しいんだ」
「それは出来ない」
「お?」
きっぱりと返された答に、アージェは説明が足らなかったかと反省する。
ロディもこれまでの騒ぎを当然知っているだろう。いきなり用件から切り出すのではなく、理由を明らかにしなければならなかった。
ディアドの青年は主人に代わって必要と思われる情報を抜き出す。
「あー、このまま大聖堂が陥落すると、中にある神具が発動するんだ。で、大陸を分割し始めて大災害が起きる。
 だからそれを止めてくる間、ここが陥落しないように封鎖してて欲しいわけ。頼めるか?」
「神具の発動? 制御出来ないのか?」
「どうだろうな。見てみないと分からないし、危険過ぎるから破壊しようと思ってる」
「破壊? だがそれがあればイクレムを何とか出来るんじゃないか?」
「それは」
―――― 当然と言えば当然の疑問。
だがアージェはささやかなすれ違いの中に、無視できぬ価値観の乖離が見えた気がして言葉を切った。
アリスティドたちもいるこの場で、ロディにどう説明して説得すべきか逡巡する。その後をレアリアが引き取った。
「ロディ、私たちは、神代の遺産が今いる人間に影響を及ぼすことをよしと思っていないの。
 勿論神具を使う気はないし、大陸分割をさせる気もないわ」
「陛下のお心は私も理解出来ているつもりです」
「なら」
「ですが私は、それには賛同しかねます」
ロディは主君の隣にいるアージェを一瞥する。その視線には起こってしまったことを仕方なく思う影が差していた。
眉を顰めるディアドを視界内に収めつつ、魔法士の男は主君へと提言する。
「陛下の仰ることが全て真実だとしても、今回のような行いが正しいこととは思えません。
 ケレスメンティアが大戦を作り出してきたとは仰いますが、そうではない戦争も絶え間なく大陸には起こっている。
 それはもう人の性で、私どもには如何ともし難いことでしょう。
 ならばケレスメンティアに出来ることは、力と使命を放棄し、彼らと同列に並ぶことではないはずです。
 民を守り、大陸の平和の象徴として在り続ける。それだけでこの国は充分に人の心の支えとなっていたのではありませんか?」
淡々と主君を批判する言葉に、エルが憤然とした顔で何かを言いかける。だが、アリスティドが手を伸ばしてそれを制止した。
重苦しいというよりも歪な空気。レアリアは、美しい貌に後ろめたさの欠片も宿すことなく臣下を見返す。
「ケレスメンティアの平穏は、神の奴隷となったが為のもの。
 その境遇に甘んじることも、他国を煽り続けることも、もはや私には出来ないわ」
「今の状態が不満であれば、神具を以って大陸全土を管理すればよろしいでしょう。大戦だけではなく、その全てを」
「ロディ」
女皇の声は大きくも鋭くもなかったが、男を諌める力に満ちていた。ロディは話を広げ過ぎたと気づいたのか、ばつの悪そうな顔になる。
彼は熱のこもりかけた声を戻すと、主君に向かい頭を下げた。
「それはともかく、今の混乱を収めるには陛下のお力が必要です。このまま動かれては御身にも危険が迫りましょう。
 色々お考えもおありでしょうが、玉座におわせばこそ可能となることもございます。どうぞお戻りください」
丁寧に呈された言葉には、レアリアへの敬意や気遣いもあったが、それ以上にケレスメンティア人の思考の一端が垣間見えていた。
アリスティドやエルがレアリアを顧みる。
アージェは、無表情の中にも落胆を窺わせている主人を見やると、その前に立った。ロディから彼女を覆い隠すようにして立ち塞がる。
「悪いけど、レアは返せない」
「ア、アージェ」
「……君のその態度が陛下を苦しめているのだと考えたことはないのか? どうして陛下の在り方をそのまま受け入れようとしなかった」
ロディの弾劾は、レアリアの変質の原因がアージェにあるのだと言っているようであった。
国の外から来た傭兵と女皇。はじめは単なる友人として出会った二人を、魔法士の男は残念そうに見やる。
「大聖堂を守りたいと思うのなら、まず陛下を玉座に戻すんだ。その後でいくらでも兵たちに命じればいい」
「今のケレスメンティアがレアの命令を聞くかよ」
「聞く者は必ずいる。それがこの国の歴史の重みだ」
確信に満ちた声は、今のこの危機に対して、確かに有効な道を一本指し示していた。
神兵たちを使い聖堂を守る。それは、アージェがロディに頼もうとしたことと同じであろう。
防衛が出来れば後のことは神の槍を壊した後で対処すればいい。レアリアを玉座に戻せば反発も大きいだろうが、外敵のいる今、彼女への敵意は分散するはずだ。だからきっとそこでも活路は見つかる。
だがそれは――――
「断る」
主人の前に立つアージェはきっぱりと言い放った。ロディの顔が驚愕に歪む。
「レアの言葉をお前たちは信じなかったんだ。本当にレアを貴んでいるなら、あの時まだその道は残ってた」
兵たちを前に要旨を配り真実を訴えた女皇。
数万の兵が彼女の言葉をどう受け取ったか、結果は人それぞれであろう。
けれど彼女の胸には一本の矢が跳ね返ってきた。
数万分の一で、アージェには充分だったのだ。それが彼女を害そうとするものなら、一秒たりとも玉座に置いておくことは出来ない。
彼は剣を手に魔法士の男を見据えた。
「レアは返せない。俺たちは神槍を破壊して、その後はもうこの国に戻らない」
覆せない決裂。ロディは顔を強張らせると「そうか」と呟いた。