悠久を誓う剣 215

女皇に仕える男二人の決裂は、もはや覆しがたいものとなっていた。
アージェは手で背後のレアリアに動かぬよう指示する。右手の剣を握りなおした。
「俺たちに協力する気がないなら構わない。ただ、邪魔はするな」
「……君たちを止めたいと言ったなら?」
「実力行使」
構えられた剣に、ロディは緊張の笑みを浮かべる。
彼は優秀な魔法士ではあるが、この距離ではアージェの方が有利だ。おまけに多対一とあっては、黙って女皇を見逃すしか術はないだろう。
だが男はその場を立ち去る様子もなく、右手をアージェの方へ向けた。間髪置かず低い声で詠唱する。
「捕らえよ、閉塞の檻」
薄赤い光。青年の足元から発せられたそれは、複雑な紋様を描いて渡り廊下に広がった。
おそらくあらかじめ構成を仕掛けておいたのだろう。アージェは舌打ちしてロディへと向かう。―― 否、向かおうとした。
「うおっ!?」
足を取られたアージェはそのまま転びそうになる。顔から地面に突っ込みかけたところを、隣のアリスティドが手を伸ばして留めた。
「危ないぞ」
「あ、足がくっついて」
「解きます」
範囲内の人間を足止めする為の魔法。それをエルが解こうとする間に、アージェは長剣を鞘に戻した。素早く左手に剣を生む。
動けぬ間に魔法攻撃をされては対応しきれない。そう思っての準備であったが、ロディは追撃をかけてくる様子はなかった。ただ先程彼らに向けていた手を上げ、天を指差す。アージェはその瞬間、男が何をするつもりなのか悟った。
「止めろ!」
剣に成形していた澱を崩し、黒い糸を放つ。
ロディの動きを阻もうとしたそれは、だが一瞬遅く間に合わなかった。男の指先からは白い閃光が放たれる。
雲一つない空へと伸びていく光。それは城の何処からも見える高さにまで到達した時、音と光を散らして弾け飛んだ。
耳をつんざく破裂音に、たちまち大聖堂の扉が開いて、中から数十人の神兵たちが走り出てくる。
「げ……」
「伏兵か!」
大聖堂の中に潜んでいた神兵は、アージェたちを見つけると次々剣を抜いた。ロディはそれを見て身を翻し、草木の向こうへと消える。
応援を呼ぶ為の閃光は、前方から駆けてくる彼らだけではなく、城の各所からも神兵たちを呼び寄せるに違いない。
目的地を前に、彼らには緊張が走った。エルの詠唱が終わると同時に、足の束縛だけは消失する。
近づいてくる神兵たち。ディアドの青年は、糸を紡いでいる左手に目を落とすと苦い顔になった。
「仕方ないな……」
一度は所属を同じくした者たちに異能を使うことは躊躇われたが、手段に拘っていられる場合ではない。
アージェは左手を上げると神兵を迎え撃つ為、薄幕を生み出そうとした。
しかしそれより早く、隣のアリスティドが駆け出す。
「私が道を拓こう!」
「ちょっ、待て!」
たちまち先頭の神兵たちと切り結び始める男に、エルやセーロンの騎士たちが慌てて続いた。
多勢に無勢ではあるが、アリスティドの剣の腕は神兵を凌駕しているらしく、男はまるで草を薙ぐかの如く暴れ始める。
だがそれはそれとして、敵味方が入り混じってしまえば幕は使えない。アージェはつい唖然としかけたが、後ろから背を叩かれ我に返った。
「ちょうどいい。異能は温存しておけ。お前にはまだ先がある」
「クレメンシェトラ」
「何とかして中に入れ。この混乱ではいつまで持つか分からぬ」
「って言われてもな」
とりあえずアリスティドを死なせては不味い気もするが、それよりもレアリアを守ることが重要だ。
アージェは鋼の長剣を抜きなおすと、主人を庇いながら向かってくる神兵たちに対した。彼らは女皇のディアドを憎悪の目で睨む。
「大人しくしろ!」
「って殺気満々で言われちゃ無理だろ」
振りかかる剣を、アージェは己の長剣で受け流した。そのまま相手の刃の上を滑らせ、首元を切り裂く。
飛び散る鮮血は、彼に投降の意思がまったくないことを示していた。いきり立つ兵たちを前に青年は後ろの女を気遣う。
「少し離れて。でも離れすぎずに。後ろに注意」
「わ、分かった」
クレメンシェトラは既に引っ込んでいるらしい。アージェは閃光を見た新手が駆けつける前に、大聖堂まで突破出来るか否か距離を測った。
白い石段の向こうに見える入り口は、彼一人であれば全速で走って十秒程であろう。だが今はレアリアを連れている。突破はおろか神兵たちに囲まれるのも時間の問題に思えた。
「不味いな」
アージェは横合いから打ち込まれた剣を弾き返すと、視線を手前に戻した。続けざま反対側で剣を振り上げた兵を斬る。
だがそうして目の前の兵を相手にしている間にも神兵たちは次々押し寄せ、彼ら二人をすっかり取り囲もうとしていた。
青年は、後ろからレアリアを引き摺ろうとする神兵を見つけ、その腕を切りつける。
「レア! 結界張れるか!?」
「う、うん」
肯定は返ってきたが、状況はかなり問題だ。
アリスティドたちが戦っている音も聞こえてくるが、彼らが引きつけてくれている人数を差し引いても、この場を突破することは容易くなかった。
既に神兵たちは二人を中心に円状の包囲を敷いている。一触即発の睨みあいの中で、アージェは左手を握った。
「温存ってこれ無理だろ。使うぞ」
「アージェ」
「レア、もっと近く」
彼女を確保して、青年は範囲攻撃を発動させようとする。
だがそうして意識を集中させようとした時、不意に神兵の数人が悲鳴を上げてその場に倒れた。
慌てて振り向く兵たちの視線の先で、一人の女が新たな詠唱を始める。
「構えろ。撃て。展開を得し礫よ」
旅の魔法士がよく身につける厚手の外套。薄茶色のそれを羽織った女は、不機嫌そうな表情で白い光球を打ち出した。
魔法の光は緩やかな曲線を描いて兵たちに着弾する。子供の拳程の大きさのそれは、触れるだけで相手を気絶させる威力を持っているようだった。更なる詠唱をさせまいと走っていく神兵を、女の隣にいた男が剣を抜いて迎える。 軽装の傭兵は、最初の兵士が剣を構えるより先に、その喉を切り裂いた。
何処の国の兵士でもない二人。旧知の彼らが突然現れたことに、アージェは驚いて言葉を失う。
二人の後ろではエヴェンが普段と同じ笑顔を見せていた。
「ここにいる奴らは皆殺しでいい。話が他に漏れても困るしな」
「ならあんたも働けっての!」
「はいはい」
リィアに怒られたエヴェンは前に出た。秀麗な顔にはたちまちに敵意の視線が集中するが、彼はまったく怯む様子もない。
だがアージェは自国の兵を斬り始めた騎士よりも、無言で神兵たちに向かっている師の存在に驚かずにはいられなかった。敵をあしらいながら近づいてきた男に問う。
「ケグス、何でこんなところにいるんだ」
「仕事でな。ついでにお前がどうしてるか気になった」
「気になったって……」
気になったからと言って簡単に来られる場所ではない。城壁を越えるだけでもかなりの苦労が必要だったろう。
何と言っていいか分からない青年に向けて、ケグスは左手を振った。
「いいから。ぼけっとしてるな」
「あ」
状況を思い出したアージェは、振り向きざま斬りかかろうとしていた兵士の腕を蹴り上げる。よろめいた相手の腹を切りつけ、更に隣の神兵に狙いを移した。

着実に数を減らしていく神兵たち。魔法士を含む新手の出現に、包囲網は半壊しつつある。
リィアを守りながら神兵たちを相手取るエヴェンが、女官姿の主君を見て笑った。
「似合うじゃないですか」
「エヴェン……」
「いいからさっさと逃げてください。城の人間はベルラをあなたと思っています。
 ここにいる人間が死んであなたが消えれば、あなたは死んだことになる」
「って言っても、ロディが知ってるぞ」
「俺が殺してきたさ」
さらりとした返答にレアリアは息を飲む。
エヴェンはいつもと変わらぬ笑顔を浮かべていたが、仮面に似た表情はその下に隠された影を思わせた。
長らく彼女の傍で彼女に仕え続けた男は、玉座を離れた主君を前に神兵たちを排していく。
「表にはケランが来ました。戦場の均衡は崩れた。もうすぐこの城は落ちます」
「ケランが……」
「だから早く逃げてください。あなたはここにいる人間たちの死を負って、何処か遠くで生きるんです」
そうして普通の幸福を掴めと促す騎士に、レアリアは美しい顔を歪めた。
泣き出しそうな表情を見せる主君にエヴェンは苦笑する。
「連れて行けよ、アージェ」
「エヴェン」
「リィアの手がすいたら転移門を開かせるぞ」
淡々としたケグスの声は、この戦闘に終わりが見え始めたことを示していた。
アージェたちを包囲していた神兵は。既にその数を半分以下にまで減らしている。
それだけでなく離れた場所で戦っているアリスティドたちが多くを捌いているのだろう。 アージェは振り返って大聖堂までの道を見ると頷いた。
「悪い、みんな。助かった。―――― でもちょっとやることが残ってる」
「何だ?」
「神の槍を壊しに行く」
大陸神話に出てくる武具。唐突なその名にエヴェンは瞠目し、ケグスはあからさまに胡散臭げな表情になった。男は神兵の一人を斬り捨てるとアージェに聞き返す。
「何だそりゃ。さすがケレスメンティアだな」
「これが残ってると色々やばいらしいんだよ」
「確かにやばそうな感じはする」
城が落ちるというなら、そう悠長にはしていられない。アージェは未だ神兵たちの中に埋もれているアリスティドを指した。
「後のことはあの辺にいるセーロン王子に話してあるから、神兵排除したら逃げててくれ」
「お前たちはどうするんだ?」
「神槍壊したら適当に逃げる」
大聖堂の中にあるという転移陣がまだ機能しているかは分からないが、混乱がひどくなるであろう城内で「待っていてくれ」などとは言えない。
ケグスは言わずともその辺りを察してくれたのか息をついた。
「分かった。こっちは心配するな。何とかしておく」
「面倒かけてごめん」
「お前の仕事がぐだぐだなのはいつものことだろ。次はもうちょっと選べ」
呆れ混じりの言葉にはひどく懐かしさがあった。
アージェはリィアにも「悪い!」と声をかけると、主人の手を引いて走り出す。その後を追おうとした神兵をケグスがすかさず斬り捨てた。
振り返りながら遠ざかっていく女皇。血塗れた剣を手にエヴェンはその姿を見送る。
騎士の嘆息を聞いて、リィアはうがった声をかけた。
「心配ならあんたも行けばいいじゃん」
「いや、心配してない。あの二人だしな」
「ふーん」
「俺は君を守らないといけないわけだし」
「別に要らない。うざい」
「要らなくても守るよ」
男の軽口にリィアは嫌そうな顔になったが、詠唱の為それ以上の文句が言えなかった。
ケグスが城の方から走ってくる新手を見つけて顔を顰める。
「どんどん来るな。もうちょっと食い止めてくか」
大聖堂に向かった二人を追わせない為には、ここでしばらくの足止めが必要だろう。
傭兵の男はとうに見慣れた「国の終わり」に剣を取り直すと、刃を一閃させ染み付いた血を払った。