悠久を誓う剣 216

わたくしの騎士よ。あなたはこれより、わたくしの片翼。わたくしの光。生くるも死ぬも全てわたくしと共にするのです。






アージェはレアリアの手を引いて大聖堂への石段を駆け上がる。その前に手を広げた神兵が立ちはだかった。
「止まれ!」
「無理」
剣を構えようとする神兵を、混戦の中から放たれた魔法が撃つ。青年が振り返ると、エルの隣でアリスティドが頷いた。
「行ってくるのだ!」
「ああ。後頼む」
「任せておけ、友よ!」
誰が友だ、という言葉が一瞬頭をよぎったが、わざわざ口にするのも面倒だ。アージェは開かれたままの扉から中に飛び込む。
建物内には誰の姿も見えない。広々とした空間には、幾つもの天窓から温かな光が降り注いでいた。
普段であれば多くの人が集まっている聖堂の中を、二人は手を取り合って走っていく。レアリアの硬い靴の音がやけに響いて、滑らかな床に跳ね返った。
白一色で統一された空間は、国の最後にあって外の喧騒が嘘のように静謐を湛えている。
よく磨かれた床上を走っていくうちに、アージェはまるで自分が何処か違う位階へと入っていくような錯覚を抱いた。現実を確かめようとレアリアの手を強く握る。
「大丈夫だ」
「うん」
女の声はひどく澄んで聞こえた。
どの聖句よりも胸に染み込む響き。アージェは不思議な充足を覚える。
こうして彼女の手を取って何処までも走っていく―――― そんな夢をいつか見たような気がした。
だがそれもまた錯覚なのだろう。アージェは壇上にある石碑を横目に、隅にある扉を押し開ける。短い廊下と控えの部屋を走り抜け、神殿への通路に入った。

狭い通路はひんやりとした空気を湛えており、その先は闇の中に閉ざされている。
青年は壁から魔法具の燭台を取ると明かりを灯した。暖色の光が僅かに前を照らし出す。
「手、離すなよ」
「分かった」
片手に燭台を掲げ、片手に女の手を引き、アージェは通路を進んでいく。
神の領域へと踏み込んでいく道行き。その先に待っているものは未だ判然としないままだ。レアリアの細い指が彼の手を握る。
終わりなく思える細い空間は、このまま進み続ければ城の敷地をはみ出してしまいそうであった。
だが彼がそのようなことを心配し出した時、視界の先に黒い扉が現れる。
「あれが真実の扉か?」
「違うわ。まだ先がある」
「何だ。知ってるのか」
「あの、怒らないでね」
「何で」
不安げな彼女の声を訝しくは思ったが、先に進まないことには意味がない。
鉄扉の前にたどり着いたアージェは、その表面を手で押してみた。扉は何の抵抗もなく奥へと開く。
「鍵かかってないのか」
「うん」
燭台で中を照らすと、先は行き止まりの小部屋になっていた。部屋の中央には階段が地下へと続いている。
何処となく既視感を覚える光景に、アージェは内心首を傾げつつも足を踏み出した。
「足元気をつけろよ」
「分かった」
地下に入ってしまえば、城壁に囲まれた敷地は関係なくなる。
二人が足元を見ながら下りていった先には、また鉄扉があった。そこを押し開けたアージェは、眼前に広がる光景を見て沈黙する。
後ろのレアリアがおそるおそる付け足した。
「あの、あの時はクレメンシェトラに空間を繋いでもらってたの……お、怒らないで」
「怒らないでって」
淡い光の満ちる場所。天井も壁も床も、切り出された白石で整然と組まれている通路。
荘厳な印象を見る者に与えるそこは、間違いなくアージェが初めてレアリアの手を取って訪れた、あの遺跡だった。



見覚えのある場所を目の前にしてさすがに驚いたアージェは、だが我に返ると苦い顔になった。レアリアの中にいる女へと苦情を言う。
「空間繋げられるなら今もやってくれよ」
それさえ可能であれば、ここまで苦労をせずに済んだのだ。
だが、彼のもっともな不満には女の溜息が返ってきただけだった。
「ここに来て余分な力は使えぬ。後で困るのはお前だ」
反論の為か表に出てきたクレメンシェトラは、口元を少し歪めて断言する。そのまま青年の手を離しさっさと歩き出した。
奥の扉の前で止まった彼女は、ディテル神と継承者たちの姿が彫られた扉を指差す。
「さっさと開けろ」
「またか……。それが真実の扉か?」
「違う。中にもう一枚ある。あの時見ただろう?」
「覚えてない。何か変なのと戦った記憶しかない」
「あれはカルドが置いていったものだろう。この扉は王しか開けられぬからな」
クレメンシェトラは苦笑すると両開きの石の扉を叩いた。アージェはその言葉に違和感を覚えつつも、扉に向けて手を伸ばす。
「王しか開けられないって、じゃあもっと軽くしとけよ。レアには開けられなかったぞ」
黒い指先が、冷たい壁画に触れた。
動き出す扉。あの時も確か力がほとんど要らなかったのだ。
アージェが今更ながらそのことを思い出していると、クレメンシェトラは目を閉じて笑った。
「だから、レアリアや私には開けられぬのだ。
 この扉を開けられるのはディアドのみ。―――― ディアドとはもともと、私の主人たる『人の王』を示す単語だったのだ」



 「王」だけにしか開けられぬ扉。
 ディアドにしか開けぬ扉。
 クレメンシェトラはその両方を知っている。だが同一だと認識出来ない。考えもしない。
 思考が制限されている。単語の意が抜き取られてしまった。
 奪われていたのだと、後から思い出した。



「王? 何だそりゃ」
黒い左手によって扉を開いた青年は、何の感慨もなく眉を顰めた。見覚えのある通路、蔦の張る壁を眺め渡す。
その後に続くクレメンシェトラは、細く長く息を吐き出した。
「記憶には未だ穴も沢山残っているがな。私はおそらく、カルドに賛同して神を裏切ったのだ。
 彼こそが人を統治するにふさわしい人物と認め、自分は彼に仕えることにした……のだと思う」
「それが『ディアド』?」
「ああ。だから女皇は皆、己のディアドに弱い。
 本来的にはディアドこそが主であって、自分はそれに従属する者だという潜在意識があるからだ。私の影響だな」
「それは……」
言われてアージェは、レアリアが口にした誓いの言葉を思い出す。
光と影と一般に言われる一対。だが彼女はあの時ディアドこそを「私の光」と言ったのだ。
後から思い返せばおかしな言葉は、明かされてみれば神代の二人に端を発するものだったのだろう。
クレメンシェトラは考え込む青年に苦笑した。
「だが、だからと言ってレアリアの感情を疑うな。あれはあれの意思でお前を想っている」
「別にそんなこと疑ってない」
「そうか。ならいい」
頷いたアージェは、いつか上った段差の上に青い花を見つける。懐かしい記憶を思い出し、手を伸ばして一輪摘んだ。
奥へと続いていく道。視界の先に最後の扉が見えてくる。通路を進む彼の背に、クレメンシェトラの声が続けた。
「だが、私の背信は当然ながら神に知れた。私は様々な制限を受け、記憶や言葉、それに力を奪われた」
「それってカルディアスが呪われた後?」
「ああ。私は……推測だがケレスメンティアの玉座をカルドに渡そうとして、神に罰されたのだ。
 表に出ぬよう人の血肉に結び付けられ、その中で不変を保つよう定められた」
「それで女皇の体を介するようになったのか。でももう神はいないんだろ?」
神の不在はルクレツィアが言っていたことだ。
続いていた通路の終わり。飾り気のない扉の前で足を止めた二人は、お互いの顔を見合わせる。
クレメンシェトラは自嘲気味に微笑んだ。
「神は去った。―――― だが、神の力と意志を継ぐ楔は、今も残っている」
「それってお前のことだろ」
女は答えない。
アージェはそうして、最後の扉を開いた。



扉の先は、『庭園』によく似ていた。
だがあの場所とは違い、壁や天井はきちんと存在している。白石が敷き詰められた広い空間には罅割れの一つもなかった。
床と同じ色の石碑がぽつんとある以外には何もない広間。アージェはいささか拍子抜けしてクレメンシェトラを振り返る。
「この先は?」
「もうない。ここが櫃だ」
「それ先に言えよ。思いきり何も考えずに開けただろ」
「伝説に感動を覚えるような性格でもなかろう」
くすくすと笑う彼女に、アージェは顰め面になった。ふと手に持ったままの青い花を一瞥すると、それを白金の髪に挿す。
「これ、レアに」
「いちいち断る辺りがさすがだな」
「お前には女官姿も似合わない」
きっぱりと言い切って青年はがらんとした空間を見回す。聖堂内から全てを取り除いたようなそこに、だが彼の探すものは見当たらなかった。
「神の槍って何処にあるんだよ」
「もうすぐに来る」
クレメンシェトラの言葉を証明するように、中央にあった石碑がゆらりとその姿を変える。
輪郭が失われ、白い澱のようになったそれは、だが意思を持っているかのように蠢くとやがて人の姿を取った。質感が変わり、白い衣を纏った若い女になる。
真白い髪。華奢な躰。そして真紅の瞳。―――― 髪と瞳の色以外はレアリアによく似ている女を、アージェは驚いて見つめた。
女は彼ら二人を見て、抑揚のない口調で言う。
「どれくらい経ちましたか。此処へ帰ってきたのですね」
「ああ」
水晶を叩いたかのような声に、クレメンシェトラは頷いて返す。
旧知であるという二人。だがアージェはそれだけのやり取りに、何故か不安が沸き起こってくるのを感じた。隣に立つ女を見下ろす。
彼らがここまで来たのはクレメンシェトラが神の槍について忠告したからだ。その話を真実だと判断したからこそここに来た。
だが現れた女は、途中女皇には開けられぬ扉があったにもかかわらず、クレメンシェトラに「帰ってきた」と言う。
あまりにもレアリアに似ている女を前に、彼は左手を強く握りこんだ。
「お前が、神の槍か?」
神の槍。真の平定者。全てを知る者で、打ち壊すべき遺産。
それは真実であるのかと問う青年に、彼女は視線を向けた。真紅の瞳がまたたく。
「私の名はクレメンシェトラ。槍であり楔。―――― 私は神に作られし忠実な召使です」