悠久を誓う剣 218

仮面の穴から覗く真紅の瞳は、じっとアージェを見下ろしていた。
青年は不穏な視線を感じつつ、床を蹴って神槍へと肉薄する。
正面へは向かわない。まずは相手の動きが知りたかった。この巨体がどれくらいの間合いを持っており、どの程度の速度で動くのか、アージェは神槍の右脇を走り抜ける。蠢く根、針の髪が彼の動きを察知して動いた。
「……っと!」
アージェは床に跳んで根と髪の先端を避ける。一回転して体を起こすと、神槍の上半身はゆっくり彼の方を振り向こうとしていた。
再び突き出される髪を、青年は後ろに下がってかわす。
神槍の瞳が彼を捉え、次に槍となった右腕が振りかぶられた。続く攻撃を予期してアージェは右へと跳ぶ。
一秒後、彼のいた場所には目に見えぬ程の速度で、白い槍が突き立てられていた。
砕け散る床。軽い地響きが起こり、周囲に大きな亀裂が走る。
「あれ食らったら死ぬな……。っていうか床崩れたら共倒れか? 俺だけ死ぬのか?」
床下は確か、遥か下方に黒い海が広がっていた気がする。
アージェはそこに落ちていく自分たちを想像して嫌な顔になった。だが神槍が再び右腕を振りかぶるのを見て、逃れるべくその場を駆け出す。
彼は試しに根や髪も届かぬ範囲にまで下がってみたが、神槍は彼を顧みてもすぐにはその場から動く様子がない。
或いは足が根となって張られている以上、動くことが出来ないのかもしれなかった。
「なるほど。大体分かった気がする」
神槍の動き自体は、基本そう速くはない。
特に上半身の回転には時間がかかるらしく、代わりに根と髪が周囲の敵を自動攻撃しているのだろう。
ただし主武器と思われる槍は、突きこまれる時の速度が尋常ではない。見てから避けることはまず不可能だ。振りかぶられた時点で回避するしかないだろう。
アージェはそこまでを把握すると、赤い瞳を見上げた。
「少しずつ削ってくしかないか……?」
神槍は離れたまま動かない彼を見ていたが、不意に小さな唇を開いた。そこに白い光球が現れる。
「ちょっ!」
火花を散らせながら打ち出された光球。アージェは自ら前進してその下を潜り抜けると、先程と同じく神槍の右脇へ向かった。背後で大きな爆発音が響く。
人間の形をしたものが相手なら普通に戦いようもあるのだが、これだけの大きさでは手の届くところを攻撃していくしかない。
アージェは先手を打って、蠢く根を数本斬り落とした。
切り口からあがる二色の煙。床に落ちた根はぼやけて消える。
青年は一つところに留まらないよう動きつつ、向かってくる髪と根を斬り払っていった。突きこまれる槍を避け、亀裂の上を飛び越える。
―――― だがそのようなことをしばらく続けていた彼は、神槍の全体を振り返って閉口した。
「ってか、全然減ってなくないか?」
神槍の下半分を占める根は、斬り落としても斬り落としても一向にその数を減じているように見えない。
失われた分、新たに生み出されているのかもしれない。アージェは白い巨体を見上げた。
「さて、どうするか」
上半身を攻撃出来れば効果があるのかもしれないが、そこまでは剣が届かない。
まさか根の上を駆け上ることは出来ないだろう。アージェは槍の範囲内に入らないようにしながら思考を巡らせた。
戦いを始めてからこれまで無言であった神槍が、透き通る声で問う。
「どうしたのですか? 敗北を受け入れますか?」
「いや、考え中」
攻めあぐねているだけで負けにされてはたまらない。
アージェはもっと深く根の中に斬り込もうと決めると、床を蹴った。
だがそうして神槍の右脇を攻めようとした時、ふと嫌な予感が脳裏を掠める。彼は攻撃をやめると、身を低くして横に跳んだ。
頭の上すれすれを旋風が通り過ぎていく。それはクレメンシェトラの守護と接触し、爆ぜるような音を立てた。
体を起こして何があったかを悟ると、アージェの背筋はぞっと冷たくなる。
「不味いな」
一向に捕まらないアージェに、神槍も戦い方を変えてきたのだろう。
何の前触れもなく周囲を薙いだ槍に、青年は緊張の息を飲んだ。一旦距離を取るべきか迷う。
赤い両眼が彼を見下ろした。
「あなたは、楽しんで戦っていますか」
「さぁな。あんまり楽しくはない」
「人は何故争うのですか」
「分からない。人それぞれだろ」
そのようなことに答は出せない。
アージェが傭兵として諸国を渡り歩いていた間、争いの原因を説いてきた人間は、いずれも自らは戦わぬ人間たちばかりであった。
貴族であったり学者であったり、信仰者であったり政務者であった彼らの訴えは、綺麗であればその分現実から遠く思える。
それを皮肉と彼は思わない。ただこの大陸には諦観が全てだった。

再び振りかぶられる槍。突きが来るのか薙がれるのか、アージェは身構える。
女は小さく口を開いた。言葉が紡がれるかと思ったそこには、五つの光球が出現する。
「げ」
突きこまれる槍。それを飛び退いて避けたアージェは、しかし同時に、左右から向かってくる光球に挟まれた。左から来る二つを剣の一閃で斬り落とす。
だが右の光を返す剣で斬った時、その隙間を抜けてきた一つが彼の脇腹に衝突した。
凄まじい力がかかり、アージェの体は真横へ跳ね飛ばされる。
「ぐ……」
床に叩きつけられた青年は、上体を起こすとこみ上げてくる胃液を抑えた。集中が乱れた為か剣が消える。
肋骨に激痛が走り、口の中には血の味が滲んだ。おそらくクレメンシェトラの防護がなければ、今の一撃で死んでいただろう。
身を以って楔の力を味わったディアドは、脇腹を押さえて立ち上がる。そこに更なる光球が襲い掛かった。
「っ」
―――― 死んだ、と思った。
すぐには足が動かない。剣を作り出せない。
アージェは目を見開いて神槍を見る。
赤い瞳はその時、少しだけ寂しそうだった。
「さようなら」



死を目前にした一瞬。
彼の眼前にはだが、突如黒い靄が生まれる。
飛び込んでくる光球。二色の力は接触し、光は靄を削りながら消失した。
アージェは自分が生んだのではない澱を唖然として見やる。残された部分が震えた。
『一度だけよ』
聞き覚えのある声。青年はその名を呼んだ。
「ダニエ・カーラ。お前、どうして」
『一度だけ。だから次は、自分で思い出して』
「自分で?」
『さよなら、アージェ』
ぱちん、と小さな音を立てて靄は弾ける。
四散し消えてしまった女の残滓。空中に溶けいる粒をアージェは立ち尽くして見つめた。
神槍が不思議そうに呟く。
「ダニエ・カーラ? 彼女は聖留化しなかったのでは?」
「聖留化?」
「継承させる神具がありませんから」
遺跡の奥底に眠る神具と、それを守る選出者の残滓―――― 神槍が言っているのはそのことだと、アージェは察した。
そしてダニエ・カーラの言葉の意味に気づく。
「そうか……」
それは、とうの昔に気づいていたことだ。
気づいて、だが大して深く考えはしなかった。
しかし今なら意味のあることだろう。アージェは再び左手に剣を生み出すと、その切っ先を床の亀裂に突き立てる。

白い人型として現れた神代の残滓。その中でだがダニエ・カーラだけは黒い澱の姿を取って現れていた。
それは神槍のいう「聖留化」を経ていないからなのだろうが、アージェは彼らと出会い、戦い、そして黒と白が相殺されるのを見て、一つの感想を抱いたのだ。
つまり―――― それらはいわば、相反する同一ではないのかと。
「要するに出所が神か負かってだけの話だろ。そしてルクレツィアの話を信じるなら、多分神の方が、後発なんだ」
灰色の霧が染み出す罅割れへと突き立てた剣。
アージェはそうして床下へと己の剣を繋げながら、世界の底に広がる力を汲み上げ始めた。
「神が位階の違いによって生まれて、人に憧れて現出したっていうなら、澱や人間の方が先に在ったんだ。
 それを知った神は後から自分も同じものを創った……澱が人の感情を取り込むように、人を写し取って残滓を作ったんだ」
そうやってディテルダは、神具や残滓たちを残していった。
ならば元となった澱には、それらと同等の力があるのではないのか。
アージェは大きくなっていく剣を見下ろす。
「ただの櫃の中なら無理かもしれないけどな、ここはレアの作った空間だ。レアは、神の支配をよしとしない」
だからこの世界は罅割れている。亀裂からは澱が染み込んできている。
神の現出よりも以前の原初から、最下層の位階で蠢く力。それらを汲み出したディアドは、大剣となった己の剣を引き抜いた。
神槍は瞠目して彼を見つめる。
「それは、どういうことですか?」
「こういうこと」
アージェは神槍のいる方に向かって、思い切り大剣を振り下ろす。
剣身から放たれた黒刃。それは宙を走り神槍に迫ると、音もなく左腕を肩から斬り落とした。






燃えている城の遥か上空。少女は目を閉じ、膝を抱えて浮いている。
その金の目は別空間の戦いを捉えており、彼女は喉を鳴らして機嫌よさそうに笑った。
「善戦してるじゃない。やるなあ。生身の人間が単身で楔と戦うなんてね」
神と人の間に生まれた娘。別大陸の楔である彼女の目には今も多くのものが見えている。
ルクレツィアはこの大陸の各所に用意した構成をぐるりと眺め渡した。それらの準備を確認してしまうと、再び戦いの場へと視線を戻す。
「ようやく気づいたか、っていうか前から知ってたんだろうけど。
 あんたの考える通りよね。負は、時に神の力を越える。それが人間の怖さなのよ」
少女は手の中に小さな球を生む。
薄明るく光る球。その周囲を取り囲むように何枚もの膜が現れ揺らめいた。
いつかアージェに見せた世界の縮図を、ルクレツィアは愛しげに見つめる。
「世界の最下層である負が、何故一つの位階を出られない人間と深く繋がっているのか。
 ―――― 神が全なわけじゃない。人が全なのよ。人は、自分たちで思うよりずっと化け物じみてる」
ルクレツィアは、人として戦う青年へと意識を向ける。
別大陸から来た傍観者。楔の終わりを見届ける者は、磨かれた指で生み出した球をつついた。
「だから、勝ちなさい」
艶やかな激励。少女は手の中に生んだ球を両手で掲げると、何処とも知れぬ空間へそれを投げた。