悠久を誓う剣 219

下層から澱を汲み出し放った刃は、アージェの思った以上の威力を以って神槍の片腕を奪っていた。
肩から斬り落とされた腕は再生する様子もない。青年はそのことに安堵しかけて、だが次の瞬間激しい頭痛に呻いた。
「いってぇ……何だこれ」
脳が爆ぜてしまうのではないかという痛み。
以前から異能を使い過ぎた時などには頭痛が起こっていたが、今のはそれ以上だ。
アージェは波のような痛みが薄らぐと息を整えた。元の大きさに戻った長剣を見下ろす。
「あんまり何発もは打てないってことか」
クレメンシェトラが「異能を温存しろ」と言った意味がようやく分かったが、多少の温存でどうにかなるとは思えない。
アージェは今の攻撃に驚いているらしい神槍を見やった。痛みは感じないのか、声は抑揚のないままだ。
「これは、人の負ですか」
「そうだな」
「あなたは本当にディアドなのですね」
「今までなんだと思ってたんだよ……」
軽い脱力感を味わいつつ、アージェは己の体を確かめる。
足には異常がないが、肋骨か内臓が痛んでいる。全速では走れないかもしれない。早いうちに決着をつけた方がいいだろう。
彼は痛みの引いてきたこめかみを押さえると、再びその場から駆け出した。
それに気づいた神槍が槍を構える。再び五つの光球が彼を迎え撃つ為に放たれた。
ばらばらの軌跡を描いて迫る球。
アージェは自分から光球の二つに飛び込むと、一閃してそれらを斬り落とす。時間差をつけて残りを捌き、突きこまれた槍をすれすれで避けた。 飛び散った床の破片が体に当たる。だが何の衝撃もないのは防護のおかげだろう。
青年は神槍の懐に向かいつつ、途中亀裂から立ち上る澱を薙いだ。接触した部分から力を吸い寄せる。
途端に激しくなる頭痛。けれどアージェは構わず向かってきた根へと剣を振るう。
「行っ……け!」
大きさを増した刃から黒波が放たれ、無数に蠢く根の半分を消し去った。態勢を崩した神槍はよろめいて傾く。
アージェは頭痛と吐き気を堪えながら、先端を失った太い根を掴んだ。腕一本で強引に体を引き上げる。
広がる裾の上に足をかけ、狙いを定めると長剣を振り上げた。その刃身に漂う澱が吸い寄せられていく。
彼の意図に気づいた神槍は、取り付いた青年を振り落とそうと身を捩った。
「待っ……」
「大人しくしてろよ!」
渾身の力を込めて女の背へと突きたてた剣。
次の瞬間神槍は、体を大きく震わせてその場に崩れ落ちた。



悲鳴はない。だが空間を震わせるその叫びを、アージェは聞いた気がした。
床に倒れている女はぴくりとも動かない。
先ほどまで根となっていた足は、今はただの細い両脚に戻っており、髪も力なく床の上に広がっていた。
白い手に戻った右腕。だが左腕は欠損したままだ。
そこまでを確かめるとアージェは肩で息をする。頭痛がまだ耳奥に残っているようだった。
けれど、そう休んでいられる時間もないだろう。青年は揺らぎかけた長剣を成形しなおすと、倒れている女に歩み寄る。
とどめを刺そうとしたその時、耳元でクレメンシェトラが囁いた。
「よくやった」
ほっとしているような声。アージェは振り返ったが彼女の姿は見当たらない。
怪訝に思った時、彼の全身から白い光の粒が浮き上がった。
それらは先程と同じく光りながらアージェの体を離れると、倒れている神槍へと吸い込まれていく。
何が起こるのか注視する青年の眼前で、最後の粒が神槍の中へ消えた。
倒れていた女がうっすらと目を開ける。
「……クレメンシェトラ?」
右手を床につき、ゆっくりと体を起こした女は、アージェを見上げると微笑んだ。
斬り落とされたはずの左腕がゆらりと白い輪郭を取って戻ってくる。赤い瞳の女は音もなく立ち上がった。
「本来の姿に戻ったのはどれくらいぶりか……感謝しよう。最後のディアドよ」
「何だそりゃ。戻ってどうするんだよ」
以前のクレメンシェトラに対するよう軽口を叩きつつ、だがアージェは急速な焦燥が押し寄せてくることに気づいていた。
黒い剣を握りこむ。女は胸に手をあてると、寂しげに笑った。
「やはり戻っても肝心なところは思い出せぬか。仕方の無いことだな」
「忘れたなら適当に想像すればいいだろ。多分、相手もそれくらいじゃ怒らない」
「そうだな。カルドはお前よりもずっと優しかった」
「悪かったな」
アージェは苦い顔で言い捨てたが、クレメンシェトラはくすくすと笑うだけである。
朽ちていく空間に響く声。
やがて女は、笑うのをやめると真っ直ぐにアージェを見た。
「では、始めようか」
「ああ」
女の右手に、透き通る刃の剣が現れる。
先程見たものより細身のそれを、クレメンシェトラはアージェに向けて構えた。
彼も黒い剣を構えようとして、だが胸に軽い何かがぶつかったような感触を覚える。
訝しく思った彼は、そこにしまっておいたものの存在に気づいた。服の中に手を差し込み、黒い短剣を取り出す。
「あー、すっかり忘れてた。ルクレツィアに怒られそう」
「謝っておけ。神の娘を怒らせると後が怖い」
「今から使うからそれで言い訳する」
アージェは短剣の鞘を捨て、漆黒の刃を顕にした。右手に柄を握る。
前にネイから聞いた「短剣を長剣にして」との言葉。その意味が今の彼には分かっていた。
青年は左手に生み出した澱を、右手の短剣に食らわせていく。
光を反射しない刃は澱を取り込んでしなやかに伸び、すらりとした長剣になった。
僅かに湾曲した刃身。美しいと言って差し支えないそれを、アージェは凝視する。
「こうやって使うものだったのか」
「それはもともと彼女が或るディアドの為に作ったものだからな。
 ―――― あの時は私も、あんな風に伸びやかに人を愛してみたいと、思った」
「見習うなよ。ルクレツィアは我儘そう」
勝手な憶測で断じると、クレメンシェトラはまた笑う。
その笑顔は今まで見た彼女のどの表情よりも軽く、幸福そうだった。



女は剣を上げると、真紅の瞳でアージェを見つめる。
壊れ行く世界に楔の声は朗々と響いた。
「さぁ、終わりの時だ。戦え、人間よ」
「ああ。これで最後だ」
振るわれる剣。二色の刃は音も無く打ち合わされる。
アージェは絡みあって昇る煙越しにクレメンシェトラを見ていた。
嬉しそうに笑う女は、彼の向こうに別の人間を見ているようでもある。
十数合交えた剣戟の終わり、クレメンシェトラは消えていく己の剣を見やると、両手を広げて微笑んだ。
「楽しかったな」
「そうか」
アージェは苦笑しながら踏み込むと、神代から生き続けた女に、剣を以って最後の幕を引いた。