侵入

禁転載

ひなたはいい。
ひなたは心を安らがせてくれる素敵スペースだ。
ひなたでのんびり寝そべる時わたしは、全ての憂き事を忘れることが出来る。
ひなたの温かさと光の輝き。それは他の何ものにも変えがたい至福だ。
「はいはい、分かったから。僕の脇腹ふみふみするのやめてくれるかな」
「うるさい毛玉。毛玉に脇腹なんてない」
「あるよ。っていうか君、長毛種を同じ猫だと認識してないね」
「毛玉は毛玉だ。大人しく枕になっていろ」
折角いい気分で昼寝をしかけていたのに台無しだ。私は毛玉の中から頭を上げると、大きく伸びをする。
「……よし、出かけるか」
「駄目だよ」
―――― 本当に毛玉は面白くないことしか言わないな。

今日は週に一度ある、ヨーコの出張レッスンの日だ。
この日になるとヨーコは朝から隣の市に出かけてしまう。家の中は空っぽだ。誰もいないいなーい。
いささか淋しくはあるが、その分静寂と自由を楽しめるのはよいことだろう。
「君はいつでも自由にしているけどね」
「うるさい。少し散歩に出てくるだけだ」
「それでこないだ寒い目にあったの忘れたの?」
「忘れた」
きっぱり言うと毛玉は深い溜息をついた。毛玉の癖にうっとうしい。それより何処か出られる場所を知らないか?
「ないよ。葉子が全部戸締りしていったからね」
「ならば開けるだけだ」
これくらいのこと大した問題でもない。
私は窓のサッシに向かうと、そこをかりかりとかき始めた。爪を出してかりかりかりかりと引っかく。
一見変化はないが、これには時間がかかる。すぐに諦めてはならない。
「……うるさいよ。なにしてるの」
「窓を開けている」
「そんなことやってても開かないよ」
「開く! だっていつもわたしがこれをやっていると、ヨーコは慌てて止めに来るか自分から開けてくれるのだからな!」
「それ、うるさいしドアに傷がつくからだよ」
「…………」
知らなかった。え、本当?
なんというか……がっかりするな。がっかり。恥ずかしいし落ち込む。
まるでわたしの存在意義に関わってしまうような……あーあ……
「そんなに肩落とさなくても」
「うるさい毛玉。猫に肩なんてない」
「分かったよ。仕方ないな。僕が開けてあげるよ」
「なんだと!?」
毛玉は毛玉のくせにそんなことが出来たのか! 違う意味でショックだ。
起き上がり足を生やした毛玉は、のそのそとサッシに向かう。しかし不意にぴたりと足を止め、わたしを振り返った。
「条件としては、葉子が帰るまでに戻ってくること。あとあまり遠くに行ったり危険なことをしない。分かった?」
「……いいだろう」
もとより散歩なのだからその条件で構わない。
わたしが頷くと、毛玉は縦に伸びた。前足が何かの金具をひょいと下ろす。
相変わらず無駄にでかい。わたしがその大きさに感心しているうちに、毛玉はサッシを横に開けてくれた。
「僕はここにいるから。帰ってきたら外からかりかりして」
「……かりかりしても開かないのだろう」
「音がすれば気づくよ」
―――― なんか納得いかない! いかないけどもう出かけるぞ!

ヨーコの家はジャングルや大河や沼や丘陵地帯に囲まれている。
毛玉に言わせるとそれは「田んぼや畑や水路があるだけだよ」ということらしいが、毛玉の言うことなので信じない。
ともあれわたしは、先っぽがふさふさの草としばしスパーリングをして体を慣らすと、目的の場所に向かって出発した。
そこはつまり、斉藤の住んでいるアパートだ。ヨーコの家からは斜め向かいに位置しているぼろアパート。
近所の人間たちからは「ヌマタのお嬢さん」と言われるヨーコに対し、斉藤はここで暮らす不審者だ。
謎の光を放つキックとかも出来るようだが……余計不審だな。自分で言っててよく分からない。
わたしは一抹のおかしさにひげを震わせつつ、古いアパートの階段を駆け上った。斉藤の部屋は奥から二番目。ちょうど窓が開いている。
あれくらいの隙間なら楽勝だな。毛玉は通れないだろうが。わたしは近くの箱を蹴って窓枠にしがみつくと、するりと中に入った。
うーむ。むっと暑苦しいな。狭い部屋だからか?
わたしはあまり使われた形跡のない台所を抜けて、奥の部屋へと走りこむ。
そこには斉藤が人間だというのに、ひなたで手足を広げて昼寝をしていた。
……起きている時は間抜け面だが、寝ていると余計に間抜けが際立つな。あと日光の下に光る筋肉が気持ち悪い。
すね毛むき出しの短パンに白のタンクトップという普段通りの姿が、汚い部屋にはよく似合っていた。
わたしは迂回して斉藤を踏み越えつつ、室内のものを検分する。
少女の人形がぎっしり飾られている棚、プロテインのダンボール、壁に飾られたパッチワークのタペストリーと八割がた完成している刺繍。色とりどりのダンベル。
うむ。大体予想通りだ、斉藤。意外性がないぞ、斉藤。
わたしは嘆息しつつも、流しの下を開けたり畳で爪を研いだりして調査に勤しんだ。
が、特に目立って変わったものはない。モンプチもないしな。
とりあえず世界セイフクのために、敵である斉藤には退場してもらおう。
私は右前足の爪をわきわきとさせつつ、部屋の中央にある卓袱台に飛び乗った。よし、ここから斉藤に向けてフライングアタックだ。
しかしその時―――― ジリリリリリと耳障りな音が部屋中に鳴り響く。
なんだなんだ! わたしはこの手の音が嫌いなんだ!
反射的に卓袱台の下に入って耳を伏せていると、斉藤がむっくり起き上がった。近くにあった目覚ましを大きな手で止める。
斉藤は大あくびを一つすると、そのまま立ち上がり背後のドアへと向かった。台所や玄関に通じているのではない明るい水色のドア。……あれ、あんなのあったか?
薄汚れた壁の中にぽつんとあるそれを、斉藤は当然のように開ける。
む、なんだなんだ。秘密基地か? わたしも行くぞ!
わたしはさっと卓袱台の下から飛び出すと、斉藤の後ろについてドアの向こうへ滑り込む。
そうして潜入したわたしが見たものは、もとの部屋の三倍くらいの大きさの、ひたすら真っ白な部屋だった。

なんだこの部屋広いぞ。走りたくなる。
だが家具がほとんどない部屋なので、落ち着かないといえば落ち着かない。隠れる場所がないのだ。
しかし頭が筋肉の斉藤は、わたしが後ろでちょこんと座っているのにも気づかないらしい。部屋に一つだけのパイプ椅子に座った。正面の壁にかけられているテレビをリモコンでつける。
「時間通りね、斉藤」
テレビに映し出された人間は、黒い羽仮面をつけた女だ。斉藤は軽く手を上げて女に返す。
「仕事なのだから当然だ」
「勤勉ね」
……なんだろう。コメントに困るな。
変態だ変態だと思っていたが、テレビと会話するまでの変態だったか。
テレビの向こうは動く絵なのだということくらい、わたしも当然知っている。
子供の頃はそれを知らずに、中に映る猫に威嚇していたりしたのだが、ヨーコに笑われ毛玉に教えられて知ったのだ。
しかし斉藤。お前は今まで誰にもそのことを教わらなかったのか? よほど友達がいないのだな。
タンクトップの斉藤は、私の胴よりも太い腕を組んで頷く。
「それで? 次の任務はなんだ」
「怪人サソリンが隔離領域へと入った。その真意を確認して排除して欲しい」
「わかった。ところで私の時給について交渉したいのだが」
「健闘を祈る」
ぶつっと音を立てて、テレビは消える。
随分短い番組だな。あまり面白くないし。
消化不良の気分を味わうわたしをよそに、けれど斉藤はしょんぼりとした様子で立ち上がった。
「仕方がない。行くか……」
行くのか。何処にだ。ストーカーにか?
見るといつの間にかテレビの横に黄色いドアが出現している。
あんなドア、あっただろうか……。斉藤は一直線にそこへ向かうと、ドアを開けた。お、わたしも行くぞ行くぞ。
「――駄目だよ」
走り出そうとした時、そんな声がしてなにかに背中を押さえつけられた。べしゃりと潰れたわたしに気づかず、斉藤はドアの向こうに消える。
そしてドア自体もなくなった。

「なんだと!?」
ドアがなくなるってどういうことだ? 筋肉の力か?
呆然とするわたしに、背中を押さえている毛玉が言う。
「君、前回で懲りなかったの? 全然戻ってこないから様子見に来たら……」
「うるさい! 放せ!」
「いいから帰るよ。もう葉子が戻ってくるし」
「うわ」
いつの間にそんな時間が経っていたのだ。斉藤の部屋を調べまわるのに夢中で気づかなかった。
それはいかん。ヨーコは出張レッスンの日は、おるすばんのご褒美にゴールド缶をくれるのだ。急がないと!
ついついぴんと立ってしまう尻尾を、毛玉は前足で右左に払う。
「毎回迎えにこさせないでほしいな。別にいいけど」
「やめろ。尻尾で遊ぶな。もう帰る」
「はいはい」
溜息をついたかと思うと、毛玉はわたしの首の後ろを甘噛みする。
―――― わたしは子猫ではない! と苦情を言おうとした時、またしても眩暈がした。
足が宙に浮く感覚。毛玉が床を蹴る振動が伝わる。



ゴールド缶はいい。
ゴールド缶は心を満たしてくれる素敵ご飯だ。
ゴールド缶をもすもす食べる時わたしは、ほとんど全てのことを忘れることが出来る。
ゴールド缶の味わいと食欲を誘う香り。それらは何ものにも変えがたい――――
「分かったよ。僕の分も半分あげるよ」
「本当か!?」
「そんな風に目をきらきらされてると落ち着かない」
毛玉もたまには嬉しいことを言ってくれる。
わたしはしっぽを立てて隣の皿に移ると、甘い声で鳴いたのだった。