拉致

禁転載

世の中、理解出来ない理不尽はたくさんある。
たとえばわたしの知る限りでも、家で飼われている猫は自由に外へ出られなかったり、モンプチを食べたい時に食べたいだけ食べられるわけではなかったり、かといって食べ過ぎると吐いてしまったり、外に出たことがばれた時には病院につれていかれたあげく風呂にいれられたりなど、訳の分からない理不尽でいっぱいだ。
だがそういったものは毛玉曰く「人と生きていく以上仕方のないこと」なのだという。
したり顔で言われると腹立つが、ヨーコのためなら仕方がない。わたしはヨーコのために我慢してやっているのだからな!
―――― そんなわけで理不尽は多いのだが、中でも今の状況はひどい気がする。
わたしは狭いケージ越しに、見知らぬ広い部屋を見回した。
うーむ。爪とぎをしたくなる家具でいっぱいだな! あっちの本棚も! あっちのサイドテーブルも!
あー、うずうずする。出られないのだが。どうしてこんなことになったのだ……。

こんなことになった原因は、約二時間前のことだ。
わたしは毛玉を脅して窓を開けさせ、いつも通り外の散歩を楽しんでいた。
「君は要求が通るまで本当にしつこいよね」
などと溜息をつかれたが、わたしの猫パンチに恐れをなしたのだろう。まったくもって楽勝である。
しかしそうして、家から少し離れた道を歩いていたわたしに―――― 一人の男が近づいてきたのだ。
男はきちんとした身なりで、まだ若かった。スーツだな、あれは。スーツ。
初めて見る顔だが、なかなかに整っているのではないか?
わたしはそんなことを考え用心しつつ、知らぬ顔で通り過ぎようとしたのだが
男は! なんと!
持っていた紙袋からクリームパンを出してきたのだ!
「食べるかい? おいで?」
ちぎられたパンの間からは黄色いクリームが見えている!
おおお、とろけそうな黄金色! わたしは家では甘いものをもらえないのだ!
時々ヨーコのおやつを味見するくらいだが、それをするとまず怒られる。ヨーコはその辺り狭量なのだ。
というわけで、甘いものを見せられたわたしが、ついふらふらと男の前に行ってしまったのは、当然の帰結といっていいだろう。
だがお前の手からは食べない! そこにパンだけを置いて三歩下がれ!
わたしが用心の爪先ステップを見せると、男はあっさりとパンを袋の上に乗せて自分は離れた。
うむ。賢明だな。よーし、いただきます!
この芳醇な香り……とろっとしたクリームは至高だな!
しかしそうして夢中になっていたわたしは、いつのまにか近づいてきた男に気づかなかった。
突然首の後ろをわしっと捕まれる。
―――― なんだなんだ! なにをするつもりだ!
「こらこら、暴れないで。大丈夫、怖がらなくていいからね」
言いながら男はわたしの足を動かぬようにしてぎゅっと抱き込む。
なんという卑劣な罠だ……。こんな仕打ちがあっていいのか?
そんなわけでわたしは、なすすべもなく見も知らぬ豪邸に連れてこられたのだった。


わたしを連れて来た男は、ケージにわたしを入れた後どこかに行ってしまったが、抗議の意を訴え続けていると戻ってきた。
手にはどっさりとした紙束を持っている。なんだそれは?
首を傾げるわたしに、男はその紙束を見せてきた。
なんだか知らないが、さっき撮られたわたしの写真が載っている。お、よく撮れているな。
「キミはどう見ても飼い猫だからね。飼い主を探すポスターを貼ろうね」
……。
…………。
………………。
そんなことをされたら、ヨーコにばれてしまうではないか!
まずいぞまずいぞ。病院と風呂のコンボがきてしまう!
これは一刻も早くこの場を脱し、家に帰らねばならない。わたしはケージの柵に頭突きを開始した。
がつがつと鳴り響く音に、男は顔色を変えてわたしを止めにかかる。
「こらこら、意地悪はしないよ。ちゃんとおうちに帰してあげるから」
帰してくれなくていい! 帰りたい!
どうしてこんなことになったのだ! 毛玉! 毛玉! いらない時は来るくせに!

ケージの隙間から手を出したり頑張ったものの、どうやらこの檻からは出られそうにない。
その代わり男は、ひょいひょいと動くわたしの茶色の手に魅了されたようだ。
紙束をテーブルに置くと、戸棚の引き出しから紐を持ってきた。
それをケージの前でゆらゆらと揺らす。
ええい、こんなもの! えい! えい! やあ! 待て待て!
おのれこしゃくな! あ、爪がひっかかった! ひっぱらないでひっぱらないで。
あー、もう! 今のうちに紙燃えないかな!

しかし、わたしの祈りが通じたのか、部屋の中に軽い電子音が響き渡った。
男はスーツのポケットから携帯電話を取り出す。
「はい……井上です。何? 分かった。すぐに行こう」
お、仕事の電話か? いいぞ時間が稼げる。
出来ればこのケージを開けていってくれると嬉しい。
しかし男は、おもむろにスーツを脱ぎだし…………あれ? どうしてスーツの下が黒タイツなのだ?
上も下もぴったりとした黒タイツ。
何も言えないわたしの目の前で、男は戸棚の引き出しから覆面を取り出すと、最後にそれを被った。
あー、見覚えあるな、これは。うん。
そう、ほら、出てこないぞ。ここまででかかっているのに。
男は呆然としているわたしに手を振った。
「ちょっと出かけてくるけどすぐに帰ってくるからね」
あ、はい……。
男が部屋から出て行って、わたしはようやく言いたかったことを思い出した。
―――― あいつ、タイツマントだ!

タイツマントとは斉藤に光るキックで吹き飛ばされた謎の怪人だ。
あれで生きていたとは頑丈だな。しかし無事なようでなによりだ。わたしはやつの言っていた世界セーフクに興味があったのだ!
早く帰ってきて話を聞かせて欲しい! だが、帰ってこられては困る!
ああ、どうすればいいのだ。悩ましいぞ。こんな時毛玉がいたらなあ!
……とりあえず、遠い野望より身近な危機か。
「たしか毛玉はこうやっていたなっと」
ケージの隙間から手を出して、ちょいちょいと掛け金をいじる。
ええい、いらいらするな。えい、えいえい。
爪を出して頑張っていると、やがて苦心のかいあってドアが開いた! やった!
あとは家に帰るだけだ。ゴールド缶に間にあうようにしなければな。
わたしは一つしかない部屋のドアにむかうと、それを開けようとジャンプする。
―――― 今視界の隅に、写真立てに入ったタイツマントと、肩を組んでるマッチョ斉藤との笑顔が見えた気がしたけど気のせいだな。そう思いたい。






苦心してタイツマントの屋敷を逃走したわたしは、なんとか家に帰ることが出来た。
途中で毛玉が迎えに来てくれたとかそういうことはない。一切ない。お前はわたしのお父さんか。
しかしながら……ゴールド缶を食すわたしの尻尾に葉っぱと泥がついているのを、ヨーコが見つけてしまってな。
「ソラちゃん! これどうしたの? どうやって出たの?」
結局わたしは、病院と風呂コースに乗せられてしまったのだ……。ついでに予防接種もされた。
今はふわふわになって、少ししょんぼりしている。
散歩もしばらくは控えてみよう。はあ。