説教

禁転載

『こんな時、どんな顔をすればいいか分からないの』とか、時々ヨーコが呟いているけれど、わたしは今どういう顔をすればいいのかわからない。
定位置の一つである吹き抜けの格子から、玄関を見下ろしているわたしは真顔でヒゲを震わせる。
「―――― そういう訳で、こちらの不手際でかえってご迷惑をおかけしたようでして」
「いえ! とんでもありません! ソラちゃんがありがとうございました」
うーむ。わたしのことでヨーコが頭を下げている光景というのは、何かうにゃっとするな。うにゃっ。
しかも下げてる相手がタイツマント。いや、今はタイツじゃないけどな。どうせ下に着ているのだろう。
スーツ姿のタイツマントは、好青年ぽい笑顔でヨーコに返す。
「でも無事帰っていてよかったです。頭のいい子なんですね」
わたしの頭がいいというのは同意だが、何も家に来なくてもよかったのだ!
くそう、タイツマント。どうしてわたしの家がわかった!
「井上は君が逃げてしまったことで責任を感じたんだよ。せめて情報提供をしたいってことで飼い主を探して葉子のことを見つけたんだ」
「お前に解説されると腹が立つ」
「自業自得だってことを分かりやすく言い換えてみたんだけど」
ええい、言われなくてもわかっているわ! まったく嫌な毛玉だな!
二階の廊下でぐだっとしている毛玉は、青い目を片方だけ開けてわたしを見る。
なんだ……言いたいことがあるなら言えばいいだろう。
わたしの散歩がばれたせいで、全ての窓にガムテープが貼られたことについて、なにか言いたいことでもあるのか!

しかしわたしが自慢のしっぽをキツネのように膨らませて凄んでいるにもかかわらず、毛玉はあくびをしただけだ。
あいかわらず覇気のないやつめ……。そうこうしているうちにタイツマントは帰っていったらしい。
玄関が鐘の音をさせつつ閉まった。同時にヨーコがわたしを見上げる。
「ソラちゃん。下りてらっしゃい」
ヨ、ヨーコ。声がこわいぞ。それは「ちょっと来なさい。お話があるから」の時の声だ。うう、いやだ。行きたくない。
「行ってくれば? きっとすぐ終わる」
「うるさい。他人事だと思って」
「僕には関係ないからね。怒られても怒られても懲りないんだから」
「あー聞こえない聞こえない」
「耳を伏せても無駄だよ」
毛玉の言う通り、ヨーコの足音が階段を上ってくる。
に、逃げる! 逃げるぞ! わたしは今突然ベッドの下でくつろぎたくなった!
しかし寝室に駆け込もうとしたわたしを、上ってきたヨーコの手がぐいと捕まえる。
ぐい! いつもはふわ、なのに! あーやだやだやだ! わたしは悪くない。昔のことなんて覚えてない!
「いーい? ソラちゃん」
いつもの台詞から始まるヨーコのお説教……ちっともよくないのだ。でも聞くしかないのだ……。



お説教は、終わるとすぐ忘れられるところがせめてもの救いであると思う。
解放され夕ご飯のモンプチを食べたわたしは、窓辺で夜の毛づくろいにいそしむ。
なんだか最近、あごの下の毛がはねている気がするのだ。だがここには舌が届かない。ううむ、気になる。
ちょっと鏡を見てこようか。は、いいこと思いついた!
「ヨーコとタイツマントをもっと接近させればいいのではないか?」
「君の思考の唐突さは本当に凄いね。で、そう思った理由は?」
「タイツマントは世界セーフクを目指している。やつを踏み台にすれば近道になるだろう」
「君、それまだ諦めてなかったんだ」
呆れたような目で言うな。お前の目はくわっとすると怖い。パンチするぞ。
キャットタワーの途中の部屋でぐでっとしている毛玉は、これみよがしに溜息をつく。
「いいかい、いつか君には話しておこうと思ったけど、今話すからね」
「なんだ。昨日逃がしたゴキブリがどこに行ったか知っているのか?」
「それは知らない。君は確かにゴキブリ取りの名人だけど、ばらばらにして廊下に転がしておくのはやめなよ。葉子が嫌がる」
「なんだと!? 今まで喜ばれているとばかり思っていたぞ」
「喜んでいると言えば喜んでいるのかもしれないけど。葉子は、君がゴキブリを取ると、アルコールティッシュで口と手を拭きにくるだろう?」
「あれはきらい」
「だからやめろって言ってるんだよ、ってそうじゃなくて」
なんだ、まだ続くのか? 毛玉の話はどれも長くて嫌だ。
大体訳の分からないこと言うし。毛玉は毛玉らしく部屋の隅に溜まっていろ。
「世界征服っていうのはね、実現してもそう楽しいものじゃないんだよ。得られるものより面倒ごとの方が多いんだ」
「へー」
「僕たちはかつてそれを実現し、そして不毛さを知った。だからこそ支配生物の座を降りて、自然の一員となることを選んだんだ」
「ほー」
「勿論、未だ現状に不満を抱き、かつてのテクノロジーを用いて人間に干渉しようとする輩もいる。井上や斉藤の属している組織にも、そういう奴らが関係しているんだろう。それらは過去の遺産に砂をかける愚かな行為だとは思うが、止めようとすれば僕らも同類になるだけだ」
「ふーん」
「だから君も、世界征服をしたいなどと言うべきじゃないよ。モンプチのゴールド缶は品切れになったらしい」
「なんだと!」
「君は本当に聞きたい話しか聞かないんだね」
「お前は本当に関係ない話ばかりをするな」
わたしは悪くない。お前が悪い。聞いてもいない話をするな。うるさい毛玉め。
それよりゴールド缶についての情報はもうないのか。とても気になる話なのだが。
けれど毛玉は、くすりと笑ってそれ以上の話はしなかった。
ふさふさのしっぽが上下する。
―――― 君はそれでいいか、と言われた気がした。



それからわたしは特になにをするわけでもなかったが、あれからタイツマントはヨーコのセートサンになったらしい。
土曜日の夜にやってきては、へたくそな音を出している。
これはわたしの目論見どおりと言っていいのか? ともあれ、しばらくは見守ることにしよう。
斉藤を全然見ないと思っていたらインフルエンザとやらになっていたらしい。へー。