潜伏

禁転載

「どうして斉藤が服を着ているのか、それが問題だ……」
うん、わたしとしてはそんなことを悩んでいる人間が玄関先に座ってるって方が問題だ。
平日の夜という時間、スーツ姿のタイツマントは、上がり口に腰を下ろして頭を抱えている。
今はタイツマントの前のセートサンの時間で、早く来てしまったやつはそれを待っている状態だ。
で、わたしが二階から吹き抜け越しにタイツマントを見下ろしているというわけ。
「どうして斉藤が……」
うるさいな。そんなことで悩むならお前もタイツで来い。そして斉藤を驚かせろ。

そもそもどうしてこうなったのかと言うと、斉藤とタイツマントが外ですれ違ったのが原因らしい。
その際斉藤は服を着ていて、タイツマントは驚いた、と。わざわざまとめるまでもない話だな。まとめてみると馬鹿馬鹿しさが増した。
というか、これひょっとしてわたしのせいなのか? みんなは斉藤のワキを楽しみにしてたんだろうか。
なんというか……責任を感じるぞ。ワキを隠させて悪かったな。いや、悪いとは思ってないが。
ともかく、そんなところでいつまでも思い悩むな、うざい。
尻尾でぱたぱたと床をはたいていると、後ろからやる気ない毛玉の声がかかる。
「あの二人は恋敵みたいなものだからね。ライバルの急な変化は気になるんだろう」
「タンクトップがポロシャツになったのがそんなに問題か? わたしが言うのもなんだが大差ないだろう」
「斉藤が、というのが問題なんだと思うよ。三十二年間タンクトップを着続けた男が着替えたわけだし」
「…………」
今までも思っていたが、改めて思う。
斉藤、あいつは馬鹿だ。本当にすごい馬鹿だ。
大体三十二年間、誰もタンクトップ以外を勧めなかったのか? むしろそっちの方が気になる。
「斉藤がタンクトップを脱ぐなんて……」
だからうるさいタイツマント。

そうこうしているうちに、前のレッスンが終わったらしい。
レッスン室から女の子が出てきてタイツマントに気づいた。
「……せんせー! 大人の生徒さんが泣いてるよー!」
「え……?」
ヨーコが廊下を覗き込むと、タイツマントは慌てて立ち上がる。
「あ、いえ、なんでもありません!」
「そうですか? お待たせしました。中へどうぞ」
レッスン室に戻るヨーコとその後を追うタイツマント。これは面白くなってきたぞ!
わたしも潜入だー! 後ろから毛玉の「ええ……?」という声が聞こえたが気にしない!
ダッシュダッシュ、足音させないようダッシュ!
というわけでなんとかレッスン室のドアが閉まる前に滑り込めたのだ。
ヨーコに見つからないようさっと椅子の下に入り込む。
「―――― そういえば葉子先生、斉藤にそこで会ったんですが」
「あら、そうなんですか。そう言えば、お二人は昔からのご友人なんでしたっけ」
へー、そうなんだー。
「ええ、小学校からの付き合いなんです。そ、それでですね……。なんとあいつがタイツを……」
タイツ?
「じゃなかった、タンクトップを……」
お前……動転しすぎだろう……タイツはお前だ。落ち着け。
「タンクトップをやめたんですよ!!!」
「そ、そうですね」
ヨーコどん引きだな。無理もない。
「で、でも、たまには気分転換もいいんじゃないですか?」
「先生はそう思いますか!? タンクトップよりポロシャツのがいいと!」
「え……あ、まぁ……」
「なら、タイツとスーツではどちらがいいと思いますか!?」
「タイツ?」
「くっ、あいつからタンクトップを取ったら何が残ると言うんだ……!」
筋肉が残るんじゃないか? というか、お前たち本当に友達なのか。ヨーコがすっごく反応に困ってる。
「……ええと、ご自分の好きなものを着るのが一番なんじゃないでしょうか。ではレッスンを……」
ピアノの先生ってお仕事は大変だな。
来週タイツマントがタイツで来ないことを祈ってる。





「ソラちゃん、レッスン室に入っちゃ駄目っていつも言ってるでしょう?」
缶詰が開くきゅぱっ、という音に重なるお説教は、あんまりわたしの耳に入らない。
それはご飯がもらえるわくわく感もさることながら、ヨーコが疲れてエネルギー切れ状態だからだろう。
いつになく疲労しているらしいヨーコは、缶詰の中身をお皿に出してしまうと、自分のためのミルクティーを手に取る。
砂糖を三杯入れるのは「とっても疲れた」の合図だ。ヨーコは椅子に座ると頬杖をついてぼやいた。
「それにしても……タンクトップ……ねぇ」
いやいや、ヨーコまで考え出すのはやめてくれ。その単語で物思いに耽るのは多分結構おかしいぞ。
わたしは食べるのをやめて、ヨーコを見上げる。
最近どうもため息が多い気がするのだ。心配なのだ。
「ほっといても大丈夫だよ。いい大人なんだからさ」
「……やっぱり斉藤を滅ぼさなければ平和は訪れないのだ……」
「一応彼も生徒さんだからね。気持ちは分からないでもないけど」
ご飯の時間は嬉しいが、ヨーコがため息ばかりだと落ち着かないぞ!
とりあえずタンクトップとタイツは思いきり反省しろ。それでお詫びにゴールド缶を持って来るといいぞ。