禁転載

その塔には憐れな姫君が幽閉されているという話があった。
子供たちだけがまことしやかに囁く噂。深い森の向こうに見える塔。
確かにそびえたって見える塔はけれど、近づこうと森に入ってもいつの間にかぐるぐると回って外に戻ってきてしまう。
ただ時折、夜になるとどこからともなく女の歌声が聞こえ、それはあの塔に閉じ込められた姫君が歌っているのだと、子供たちは囀りあって恐れていた。

ある時一人の騎士が、その話を聞いて驚き憤慨した。
遠い国から旅をして来た彼は潔癖で公正で、少々頑ななところはあったものの子供たちによく好かれる人間だった。
戯れに聞いた姫の話は噂に過ぎなかったものの、彼はいたく同情して
「誰の仕業かは知らぬが、本当にそのようなところに幽閉されている姫がいるのなら、私が助け出してこよう」
と言って森に向ったのだ。子供たちは「悪い魔物がいるよ」と言って彼を止めようとしたが、騎士は笑って取り合わなかった。

森はとても広かった。
騎士は月星や木々の間からたまに見える塔を頼りに、暗い森の中を進んでいった。
悪い魔物には出会わない。ただ夜露を避けて眠る夢の合間に、女の歌声を聞いたような気がしただけだ。
目覚めてから彼はそれを夢かと思ったが、まるで青い宝石のように澄んで響く歌声は、夢にしては今まで一度も聞いたことのないほど美しいものだった。
塔はもうかなり近くにあるに違いない。騎士はそう自らを鼓舞する。
そしてやはり、あの塔には姫君が閉じ込められているに違いないのだと。
彼は剣を手に、決意も固く歩き始める。
やがて、森に入ってから月が二度昇り、三度目の太陽が落ち始めた頃、彼はようやく塔にたどり着いた。

塔の扉に鍵はかかっていなかった。
騎士は松明を片手に、暗い内部に足を踏み入れる。
埃が積もった石の床に足跡をつけながら、彼は螺旋の階段を上り始めた。
子供たちが語る噂では、誰が姫君を閉じ込めたのかについては触れられていない。ただ「悪い魔物がいる」と彼らは怖がるばかりだ。
騎士は剣を握る指に力を込めながら階段を上り、そうして塔の中ほどにある広間に足を踏み入れた。

半ば闇の中に没している広間はしかし、生者の気配はしないが死臭が漂っていた。
騎士は用心しながら松明で辺りを窺う。
彼はゆっくりと壁に沿って歩き、そして恐れていた通り、隅に寄せられるようにして人の骨が積み重なっているのを見出した。
「何とむごい。魔物がいるという話は真実か」
思わず深い溜息をついた時、闇の向こうで何かが蠢く。
騎士が構えた剣の先、姿を現したのは世にも醜い異形の怪物であった。

戦いは長くはかからなかった。
祖国で剣の腕を謳われた騎士は、腕に手傷を負いながらも怪物の首に剣を突き立て、その命を奪い取る。
醜い異形の怪物は、おぞましい肉塊となって白骨の山の傍に横たわった。
「お前が殺した人の嘆きを、地獄の底で思い知るがよい」
騎士は剣を鞘に収め、死に覆われた広間を後にする。
そして再び階段を上り始めた彼はついに、塔の最後の部屋の戸を叩いた。

扉は中から開けられた。
そこにいた女の美しさに騎士は息を飲む。
一体いつから閉じ込められていたのか、床に引き摺るほどの長い金髪は、陽光を纏うかのように煌いていた。
二つの青い瞳は森で聞いた歌声と同じ澄んだ輝きを宿している。
女は騎士を見て驚くと、どうやってここに来たのかと問うた。
「あなたを救い出すためにです、姫」
彼女の小さく滑らかな手を男は恭しく取って口付ける。女は白い頬を紅色に染めるとか細く礼を囁いた。

だが、女は塔を出ようと促す騎士に、黙って首を横に振る。
そして自分はここから出られないのだと、悲しげな目でそう言った。
森の中に建つ塔は、悪い魔物を封じる塔。
魔物が這い出で害を為さぬよう、塔には慰めの女が住まわなければならない。
そうやって祖母も母もここで一生を終えたのだと彼女は微笑むと、やがて老い死ぬ自分の代わりに役目を継ぐ娘が欲しいと言って、騎士の腕の中へと身を投げた。

美しい娘の甘い懇願。
けれど今度は騎士が首を振る番だった。
「魔物は既に倒してきました」
と彼は言う。
「他にも魔物はいるのです。もっと恐ろしい魔物が」
と彼女は返す。
しかし騎士は「それならその魔物も私が倒しましょう」と答えて彼女の手を引いた。
女は戸惑い、騎士を見上げる。
やがて彼女が躊躇いながらも頷くと、二人は手を取り合って塔を下りていった。

「あなたはなぜ、魔物が怖くないのですか」
松明が足元だけを照らす中、女は震える声で問う。
「怖くないとお答えすれば、それは間違いになるでしょう。ですが、それでは誰も救えません」
そうやって彼は、今までにも多くの人を助けてきた。それが彼の誇りであるのだ。
「あなたは、強い方ですね」
「私はまだ、強くありません」
騎士は長い階段を彼女を庇いながら下りていく。
そうしてようやく、月の光が差し込む扉が見え始めると、彼女はふっと息を吐いて笑顔になった。
「いいえ、あなたは強い方。あなたの子なら生んでもよかった」
女は白い手を伸ばして、騎士の首をもぎ取る。
そしてゆっくりと時間をかけて、髪から肉から綺麗にこそいで食べてしまうと、白い頭蓋を抱え込み、残る体を引き摺って塔の階段を上がっていった。

その塔には憐れな姫君が幽閉されているという。
何百年も昔から子供たちだけがまことしやかに囁く噂。深い森の向こうに見える塔。
夜に時折聞こえる歌はいつの世も変わらぬまま、寝台にもぐる子供たちを怯えさせる。
そして塔の最上階にある窓辺には、白い髑髏が大切そうに飾られているのだ。