追試とクリーム

教室の机上に広げられたノート。数教科に及ぶそれらは、いずれも整然とはほど遠い内容を二人の目に見せていた。
落書きだらけの一冊を手に取った清子は、ひとしきりそのページをめくると、冷たい視線を持ち主へと投げかける。
「で、何これ」
「数学のノートのつもり」
「その実態は」
「渾身のパラパラ漫画『バナナとハエ』」
「ハエの動きがリアルでいいわね」
「ありがと」
ノートを誉められた美加は、ほっと笑顔になった。
だがそれも束の間、顔面にそれをぶつけられ、彼女は「うぐはっ」と仰け反る。
「ひ、ひどい清子さん」
「あなたの人生の方が酷いわ」
「たかがノートが汚いだけでそこまで」
「留年しそうな人、手を挙げて」
「はーい」
真っ直ぐに右手を挙げた江藤美加(高校二年生)の学年平均順位は、八百七十人中八百四十位前後。
一方常に五位以内には入る佐倉清子は、大きな溜息をついて項垂れると──── 友人の他のノートもまたチェックの為、いやいや手に取ったのだった。



同じ高校の同じクラス。しかし対照的な二人は、いつも共にいる仲のよさからは意外に思われるが、高校に入ってからの友人同士である。
成績優秀、融通の利かない堅物さと厚い眼鏡で知られる清子は、あまり人付き合いがよい方ではなく、美加の他に友人と言える人間もいない。一方の美加は成績最低、運動はそこそこの人懐こい人間で、友人の中に清子が入っていることも、「美加ならば」と納得されるほどの広い交友関係を持っていた。
教師の間からは「二年一組の凸凹コンビ」と称される二人は、美加の留年の危機を前に真剣に話し合う。
「とりあえずこのノートからは、あなたがまったく授業を聞いていないことしか分からなかったわ」
「私の絵の上手さはどうだった?」
「味があっていいと思う。ただ触覚だけがリアルすぎて不気味ね」
「触覚が好きなんだよね」
「それ、公言しない方がいいわ」
美加の発言に切り返しながらも、清子はてきぱきと必要事項を書きとめ、ルーズリーフを埋めていく。
やがてそれが出来上がると、彼女は自分のノートを取り出し、新たなルーズリーフに何かを書き始めた。
美加は整然そのものでしかない清子のノートを覗き込む。
「清子さん、何やってるの?」
「追試の対策専用ノートを作ってるの」
「ありがとう! 清子さん!」
「これがあなたへの誕生日プレゼントね」
「…………ミルクレープ、食べたかった……」
うなだれる美加には、しかし誰が見ても同情の余地はない。
それから清子は二時間かかって五教科分のノートを作ってしまうと、最後にハート型のクリップでルーズリーフを止め「誕生日おめでとう」と友人に向かって差し出した。






教師の出題傾向をふまえ要点をまとめた清子のノートは、一週間の猛勉強タイムを経て、無事美加を留年の危機から救うことが出来た。
「いつもこれくらい頑張れ」と担任からお褒めの言葉を頂いた美加は、ほくほく顔で校門の外に向う。
そこで待っていた清子は、友人からことの首尾を聞くと、真顔で頷いた。
「よかったわ」
「清子さんのおかげだよ」
「あなたの努力よ」
縁の厚い眼鏡を指で押し上げると、清子は持っていた小さな紙袋から、あるものを取り出した。それを美加に向かって差し出す。
「では改めて。留年脱出と、誕生日おめでとう」
「……清子さん」
差し出されたものは、花束状のクレープだった。
駅前のビルにある店ででも買って来たのだろう。見覚えのある紙包みと、はみ出しているクリームを見て、美加は目を丸くする。
「わざわざ買って来てくれたの?」
「食べたかったのでしょう」
「清子さん……クレープとミルクレープは別物だったり」
その瞬間、眼鏡のレンズにぴしりとヒビが入ったように、美加には見えた。
勿論それは単なる気のせいで、だが彼女は凍りついてしまった清子を見つめる。



何故二人が友人であるのか、その理由を説明しろと求められても困る。
ただ返すことが出来る言葉は「だって友達だし」というだけのものだ。
美加はクレープを手に取ると嬉しそうに笑った。
「でも清子さん、今日の私はクレープが食べたいのです」
「── そう」
「きっと世界で一番、クレープを食べたがっていたのは私です」
クレープに向かって大きく口を開けた美加を、清子はほっとしたように見守る。
無言で歩き出す通学路。彼女は友人の頬についたクリームを見つけると、最後に自分のハンカチを差し出したのだった。