黒猫ティナ

禁転載

猫を飼いたいと思っていた。
念願の小さい庭付きの家を手に入れたから。
一人暮らしは淋しいし、かといって人と一緒に暮らす程、人に慣れていなかったから。
猫を飼いたいとは思っていた。

けれど実際に俺が拾ってしまったのは……人間嫌いな、ただの魔女だった。

「不器用ですね」
「きっぱり言うなよ」
俺は自分の手元と、そいつの手元を見比べる。
剥いているのは同じ人参。
剥かれた皮の厚さは六倍差。
ほとんどが皮に吸収されつつある人参は確かに、俺もどうかと思う。
けれどそう蔑みの目で見られるとそれはそれで腹が立つ。
俺は隣に立つ魔女の足を軽く蹴ってやった。
「痛い。捻り潰しますよ?」
「生皮剥ぐぞ」
「何故、人の皮は剥げるのに人参は満足に剥けないんですか。この元暗殺者」
「うるさい。国に突き出すぞ、魔女」
俺は十三-四歳に見える女を睨む。が、やつはまったく堪えていないようだった。
この外見で俺と同い年の二十六歳だっていうんだから魔女っていうやつはどうかしている。
魔法士を弾圧しているこの国で正体がばれたら即刻火あぶりだな。
いやそれとも―――― それら全部をぶちやぶって逃げてしまうのかもしれない。
大陸で五人しかいないと言われる恐るべき魔女。
ほんの少女に見えるこいつは、その中の一人だと言うのだから。

何で暗殺者をやめたかと聞かれたら「暗いから」と答えるつもりだった。
けれど誰もそんなことを聞かないから言ったことはない。当然ながら伏せているし。
いつも顔を隠して、誰か見ていないか気配を窺って、昼はこそこそ潜んで
―――― ってそういう不健康なのは十年もやってれば充分だと思う。のびのび日向ぼっことかしたい。
幸い俺を育てた男はとっくに死んでるし、その教えを忠実に守っていたおかげで仲間内にも俺の顔は割れてない。
だからある日、本当に何となく「あ、今かも」って思ってそこを離れただけのことだ。

だが、やめてみたはいいけれど……俺には本当にそれ以外の能がなかった。気づいた時には愕然とした。
酒場で働いてみてもすぐ客と喧嘩しちまうし、何と言うか、日常的なことについては徹底的に不器用だった……。
辿りついたこの国で、城の武官の試験を受けたのはそういうやむにやまれぬ事情によってだ。
変則とは言え剣ならば自信があるし、幸いここの試験は受験者同士の試合だっていうから、なおいい!
そりゃ腕に自信があるなら冒険者みたいな真似をすれば何とか食っていけるんだろうけど、
俺が欲しい生活はこう……小さな庭付きの家で猫とのんびり休日を過ごす……ってそういう安定した生活なんだよ。
あちこちの遺跡もぐったり魔物と戦ったりは正直勘弁して欲しい。平和がいい平和が。
平和が、よかったにもかかわらず。
何故俺は今、この魔女と暮らしているんだろう。

「っていうか手伝わなくていいですから、もうどっか行って下さいよ。材料なくなる」
「俺の家で俺の台所だぞ!」
「材料切ったあとどう料理するか知ってるんですか?」
「…………」
嫌なガキだ。ガキじゃないらしいがもうガキでいい。
外見以外はまったく可愛くない。どういう育てられ方をしたらこうなるんだ。
「ほら、あっち行っててくださいよ、ルー」
やつはそう言うと一瞥で俺の手から包丁を奪っていった。
というか見られただけで俺の手の中から忽然と包丁がなくなった。怖っ! 何これっ!
これ以上の怪奇現象は御免だったので渋々食卓に戻ると……三十分程して、実に美味そうな料理が運ばれてきた。
俺は無言で一匙すくって口に運ぶ。
―――― くそう。どこの国の料理か知らんが美味い。けど悔しいから絶対言わん。
その後皿が完全に空になってしまうまで、俺はずっと無言に徹したのだった。

何でこう、こいつは魔女の癖に料理をしたりお茶を淹れたりするのが上手いんだ。
本当は魔女ってのは世を忍ぶ仮の姿で、実際は女官か何かじゃないのか。
当然のように出された食後のお茶を飲みながら、やつへの憎たらしさを再認識していた俺は、ふとそこで別のことを思い出す。
「そうだ! よく聞け」
「聞いてます」
「ついに俺はダイナ嬢と一緒に出かける約束を取り付けたのだ」
「死地へですか」
「お前、いっぺん捌くぞ」
ダイナ嬢とは俺と同じく城に仕える女性で、陽だまりのようなたおやかな女官さんなのだ。
つねにギスギスと嫌味を言ってくるこのガキとは全然違う。主に体型が。
あの優美な胸から腰にかけての曲線が……もとい、分け隔てない笑顔が城の武官の間でも密かに人気だったりする。
その彼女と! ついに!
僚友たちに差をつけて一歩前進してしまう俺を恨まないでくれたまえ。
これも毎日彼女の後を意味なく付回して、好きなものなどを地道に調査したおかげである。
「変態」
「心を読むな!」
「さすがに読めません。が、顔に出てます」
「うるさいぞ! 当日どんな話をすればいいのか、助言をくれこのやろう!」
「僕は何の取り得もない犬畜生です。どうか家の片隅にでも置いて養ってください、って言えばいいんじゃないですか?」
「稼ぎは充分にあるわ!」
「先に突っ込むのそっちなんですか……」
魔女は呆れ顔で溜息をついた。
年上ぽく振舞うな。同い年だろ。
「大体、俺に稼ぎがなかったらおかしいだろ。お前は誰に養われていると思ってるんだ」
「私、自分の生活費は自分で出してますよ」
「あれ」
知らなかった! ちょっと恥ずかしいぞ俺! とりあえず心の中でごめんなさい。
魔女はそんな俺の心も読み取ったのか、自分の長い黒髪を指で梳きながら大人びた仕草で肩を竦める。

それにしても―――― 生活費に困ってないのなら、何故こいつは俺と暮らしているんだろう。
じっと見つめてみると猫によく似た大きな黒い瞳が、俺を見返してくる。
「ティナ」
「何ですか」
「ちゃんとした助言をくれ。俺の一生がかかっている」
「…………仕方ないですね」
魔女は空中に足を組んで浮かび上がる。
何で後ろに尻尾が生えてないんだ。本当はあるだろ、黒いのが。

猫を飼いたいと思っていた。
念願の家を手に入れた時まずそう思った。
でも、実際に拾ったのは人間嫌いの魔女で―――― この生活もまぁ、悪くないと思っている。