忘却シア

禁転載

数歩分を一息で後ろに跳ぶ。俺は視界を広く保ちながら、真っ直ぐ胸を狙って投擲された短剣を指で挟んで受け止めた。
着地と同時に体を低く構える。
一瞬の後に左から鋭く薙ぎ込まれる剣は、俺の頭の上を空ぶっていった。―――― 遅いんだよ。まぁ追いつけただけましになったか。
そのまま俺は、左足を出して奴の足を払う。体重の軽い奴は、それだけでころんと地面に転がった。
「あーうー」
「いまいち。俺が剣持ってたら死んでたぞ」
「動きの速度が違う上に手足の長さも違うってどうすればいいんですか。魔法で吹っ飛ばしていいですか」
「やめて。思い留まって」
さらっととんでもないこと言うんじゃねぇ! お前が魔法で分厚い壁ぶちぬいたところも見たことあんぞ!
まったくこれだから魔女ってのはどうかしてる。こんなんに剣教えていいのか、俺。
…………うん、とりあえず俺が教えたってことはティナには黙っててもらおう。後で見も知らぬ人間に恨まれるのやだし。
やつは砂を払って立ち上がると大きく伸びをした。
「あー、お昼作りますか」
「ネギ抜けよ」
「ネギを抜いてしまったら水しか残りませんが」
「何を作るつもりなんだお前は!」
もうネギ汁は充分だ! どこにいてもネギの臭いがする気がしてうなされてたら、自分がネギ臭発生源だったとかは勘弁してくれ!
そもそも俺が何でネギが嫌いなのかというと、それはおおよそ七年前……
「ネギ如きで物思いに耽らないで下さいよ。普通の料理作りますよ」
「うっさいわ! 心の中でくらい好きに語らせろ!」
大体ネギ如きとはなんだ。ネギ農家の人に謝罪させるぞ。ネギ畑に埋めるぞ。その後で俺も畑にめりこまされるのは確定なんだけど。
と、俺がまるでネギ大好き人間のようなことを考えていると、ティナは既に家に戻ったらしくどこにもいなくなっていた。
すごく、さみしいです。

「うん。ルーヴィニスには野盗退治に行ってもらおうか。一人で」
「頭大丈夫ですか、シア将軍」
「ほんとほんとー。君、集団行動向いてないし、一人の方が効率よさそうじゃん」
限度があります。何ですか、これ。苛め?
休み明けに出仕したらいきなり上官からこの命令ですよ。どうかしてるとしか思えません。
しかし、シア将軍は俺の冷たい目にもかかわらず、隙の無い鋼鉄の笑顔で頷いているだけで。おーい……。
「実は、昨日ホゼント将軍が亡くなったのだよ」
「あの犬将軍がですか。犬大好きで犬と同じ食事を取ってたっていう……」
「そう。その犬将軍がついに死んじゃった。死因は寝てる間に犬が顔の上に乗っかってたからって噂だけど。
 だからね、人数揃えるために誰か武官を将軍として推挙しなきゃいけなくなって、それで君」
「頭大丈夫ですか、シア将軍」
俺より六歳年上のこの男は、呆けてるで有名だ。頭が悪いわけじゃないんだけど非常に記憶力が悪い。
それでも呆けっぷりを補ってありあまる能力の持ち主で、立派に? 将軍の末席を勤めていた。今までは。
―――― 俺を将軍に推挙とか正気じゃないですよ。言ってないけど元暗殺者だし。
大体、将軍って戦場で軍を動かしたりする人の役職じゃないの? 俺、そんなの分からないよ?
けど、シア将軍はごくごく真面目な顔で俺の突っ込みをシカトした。ひどい。
「でね、そしたら他の将軍たちが、流れ者なんかに将の位をやるのかーってうるさくって。
 別に今は戦もないし、指揮の才より戦って強いやつがいた方がいいじゃん、って言い返して」
「はい」
「なんか言い争いになって。最後には『だからお前はピーマン食えねーんだよ!』とか言われてむかついたから、じゃあルーの力を見せてやんよ! と……」
「まったく意味が分かりませんから。俺を巻き込まないで下さい」
何、その子供の喧嘩。
大体シア将軍がピーマン嫌いなんて初めて知ったぞ。別にいいじゃん、好き嫌いの一つくらい……。
「実は大好きなんだけど食べると気持ち悪くなるんだ」
「食べないで下さい」
我慢しろよ。大人気ない。

「うちの武官で一番強いのは君なんだよー。挙動の怪しさは別として」
「挙動には触れないで!」
「というわけで、野盗退治行ってきて」
「無茶言うな!」
「階級上がれば給料上がるよー。ちょっとはダイナにいい所見せられるかもよー」
「…………」
ここで黙ってしまう自分が憎い! というか何でみんな俺がダイナ嬢好きって知ってんの!?
くそう。給料上がっても挙動が治せなきゃ駄目なんじゃ! でも挙動のおかしなところが受けてる気もする! 俺はどうすればいいんだ!
「分かった?」
「……分かりました」
とりあえず、適当に返事だけしておく。
相手はシア将軍だ。どうせ明日には忘れてるだろう。そうしたらユアンでも引き摺って一緒に討伐部隊を編成すればいい。
そう思って大人しく引き下がって帰った翌日――――
「じゃ、行ってらっしゃい」
忘れてなかった!!

肩の上で黒猫が大あくびをしている。寝ているところを無理矢理引き摺ってきたんだから仕方ないな。ごめん。
でも俺の命がかかってるから! できればよろしくしてください。
「眠いんですよ……」
「人語を話すな、猫」
「にゃむいんにぇにゅにゃー」
「俺が悪かった」
それ人間が「にゃ」って言ってるだけじゃねーか。ひょっとして声までは変えられないのか?
ほどよく揺れる馬上の、更に俺の肩の上で猫に姿を変えたティナは、何とか丸くなる場所を見つけようとうろうろしている。
うう……さっきからとってもしっぽくすぐったい!
でも文句言える立場じゃないんだよな。「一人で野盗討伐する羽目になったから手伝って下さい」って言って連れてきたんだから。
ティナは寝起きが悪いせいか「ふぁー」とか言ってたから「おお、了解してくれるか、ありがたい」とか演劇調に言って持ち運んだ。
多分、正気の時なら「嫌です」って即答されたと思う。うん、俺が昇進したら何か買ってやるから許して。
「えーと、ここから北東の山の麓の洞窟を根城にしてるらしい。人数は三十人から五十人」
これ、俺一人で殺せとか頭わいてるぞ。出来るかもしれないけど大変だよ。最近ぐうたらしてるからちょっと自信ない。
「実は貴方を殺してやろうとかいうそういう命令なんじゃないですか」
「絶対生きて帰ってやるわ!」
まぁ多分……シア将軍のことだから本当に出来ると思ってるんだろうけどね。無茶振りにも程がある。
ティナはようやく肩の上で小さくまとまった。黒い尻尾も折りたたまれる。
「もう面倒だから、洞窟ごと吹っ飛ばしていいですか」
「俺そんなことできないから!」
第一あからさまに魔法使ったらお前が危ないだろ! 自重しろ自重。
俺は持ってきた二本の剣を確認する。どちらも長剣というほどには長くない、小回りの効く剣だ。
「とりあえず俺だけ守っててくれ。攻撃は俺がやるから」
「ふぁー」
とても眠そうだ! 駄目かもしんない!

洞窟付近に到着した俺たちは、馬を木に繋ぐと徒歩で現地に向った。
ところどころに見張りがいたが問題なく成敗。洞窟が見える場所まで到達する。
「突っ込むんですか?」
「いや、炙り出そう。他に出入り口はないみたいだから」
俺は持ってきた袋から草を束ねたものを三つ取り出す。これ火をつけるとすんごい煙が出るんだよな。で、涙が止まらなくなる。
普段は姿を見せない暗殺者が、場を撹乱しなきゃいけない時によく使う代物だ。俺は耐性があるから結構平気なんだけど。
覆面をして準備を整えると、草束を肩の猫の前に差し出す。
「火、くれ」
「その格好いつ見ても怪しいですね」
「いいから火……」
怪しいのは分かってるからほっとけ! 煙も吸ってないのに泣きたくなっちゃうぞ!
ティナは猫の姿のまんま草束を一瞥した。端っこに火が灯る。火はたちまち大きくなり―――― 俺は走りながらそれを確認すると洞窟の中に投げ入れた。
洞窟の奥で「何だ!」「火事か!」とか罵声が聞こえる。息を殺して待ってると、次第に声は咳き込む音ばっかになって……苦しいんだよな、あれ。
俺は剣を構えた。
猫が肩の上から飛び降りる。戦闘の邪魔にならないようにってことだろう。まぁあいつはまず死なないからほっといて大丈夫。
すぐにこっちに向って足音が複数駆けてくる。まずは三人といったところか? うん、慎重に行こう。
そして白煙の中、「討伐」が開始された。

「別に私いなくてもよかったんじゃないですか」
ティナは呆れながら死屍累々の周囲を見回す。いや、いなかったら俺今頃大怪我だから。何回か干渉してくれてただろ。
「きっと城の人間も貴方がずたぼろになって帰ってくることを期待してますよ。残念無念」
「要らんわ! そんな期待!」
俺をなんだと思ってるんだ! いつか本当に死んじゃうぞ!
しかしティナは聞く耳持ってないのか、馬の鞍に上ると丸くなって寝始めてしまった。肩に乗らないのは俺が返り血だらけだからか?
それにしてもお前が鞍の真ん中にいたら、俺、馬に乗れないだろ……。手綱引いてとぼとぼ帰るぞこのやろう。

洞窟内を検分したが、盗った宝はほとんどないみたいだ。通信用の鳩を放したからもうすぐ後始末の応援が来るだろ。
ともかくさっさと城で報告終えて、帰って寝たい。久しぶりに実戦してほんと疲れた。
あー……でも! 給料上がったらダイナ嬢に何かプレゼントでも買おう! そしてまたデートに誘って……。今度こそ手を繋ぎたい!
―――― そんな妄想を抱きながら、行きの倍以上の時間をかけて城に戻った俺。シア将軍に首尾を報告に上がる。
「というわけで。討伐完了しました」
「あれ。俺そんな命令した?」
「………………」
忘れてやがった……。もう、泣きたい。