黒猫の不機嫌

禁転載

腰帯から抜いた短剣を上空に向かって投擲する。
それは俺の狙い通り真っ直ぐ標的の男へと到達し―――― あえなく不可視の結界に弾かれた。空中に立つ男は高笑いを上げる。
「わっはははは! どうだ! 手も足も出ないであろう、弾圧者めえ!」
「やかまし、落書き犯」
言い捨てながら俺は自分の足場を確かめた。
連なる屋根の一角、後に追ってきている者は誰もいない。見渡す限りこの場にいるのは屋根の隅に立つ俺と、空中に浮く賊だけだ。
―――― ええい、兵士ども! 屋根の上くらいさっさと上って来い!
心の中で悪態をつきながら俺は新しい短剣を抜く。無駄な足掻きと分かっていながら、それを賊目掛けて投げつけた。



やあ、こんにちは。俺の名前はルーヴィニス。二十六歳。
とある城に所属する将軍の一人だよ! ちなみに隠してるけど元暗殺者。

……なんて陽気に挨拶しても状況は変わらないんだけどな! ことは二月前に遡る。
場所は城都より少し西の大きな街。貴族が多い裕福な街なんだけど、そこにある時から落書き魔が出没するようになったんだと。
貴族の屋敷から衛兵の詰め所まで、いつの間にかあちこちの壁にでかでかと落書きが書かれ、住民が怒り狂ったらしい。
それだけなら子供の悪戯だろ、ほっとけほっとけ、って言いたくなるんだが、書かれた内容が……なんというか、この国の宗教への批判だったらしいんです。で、城に捕縛要請がきて、なんでか知らんけど俺が割り振られて、今この時に至る! 
って相手あきらかに魔法士だし! 宗教批判って時点で気付けよ!



「いいかね、弾圧者。お前たちはイリティルディアを唯一神として仰ぎ魔法を弾圧しているが、それは大陸の歴史から見ても異端なことであり……」
「あ、やめて。俺そういう難しい話苦手。第一この国の出身じゃないし。無宗教だし」
「……何でそんな人間が来てるのだね」
「仕事だから」
「…………ぇー?」
そんなあからさまに残念そうな顔すんな!
大体お前が壁に「アイテア信徒参上!」とか書いてるところを押さえられて、空に逃げたのが悪いんだろ!
おかげで追っかけられるのが屋根に登れた俺だけになったんだぞ! 責任取れ責任!
暗殺者だった頃はこういう相手には魔法具の短剣投げてたんだけど、この国は魔法具禁止だからな。
当然俺が持ってるのもただの短剣。相手の結界に弾かれる。向こうの魔法はよけられるけど。ってきりがないな!
空中に浮いている男は不満げな顔で俺をねめつける。
「じゃあもっと頭がよくてえらそうな奴連れて来なさい」
「暴力王女を紹介してやるから城に来い」
「それはやだ」
「わがまま言うな!」
……何で俺に回ってくる仕事はこんなんばっかなの。
くそう切り札出しちゃうぞ。後悔しても知らないぞ。
俺は腰に下げていた布袋を手に取る。その口を掴んで空中に掲げた。
「いいか? 謝るなら今のうちだ。俺は責任取らない」
「何を言っているんだ、弾圧者の手先。その袋一つで私をどうにか出来るとでも?」
「出来ると思ってるから出してる! ―――― 行け! ティナ!」
俺は柔らかくて温かいものが入っている袋をおもむろに逆さにする。
そこから転がり出たぶち猫は屋根の上に落ちて「みゃー」と言い……あれ、ぶち猫?
「ああああああああ、猫間違ったああああああああああ!!」
「わっはははは! このお茶目な猫好きめ!」
なんつーこった! ティナが拾ってきた別の猫と間違った! 夜明け前に手探りで袋に詰めたからだ、俺の馬鹿!
っていうか本物の猫だと知ってたらもっと丁寧に扱ったのに! すまん、ゲドルフ!(勝手に命名)
でも。
それよりこれ、不味くないか!?
切り札がなかったら俺にあの魔法士を捕まえることは不可能。これは「発見したのに逃げられましたすみません」フラグだ。
うん、暴力王女に殺されるね。俺終わった。命が終わり。
「……ぐわああああああ! 国外逃亡したい!」
「したまえしたまえ! さあこんな国はさっさと出るんだ!」
「―――― 煩いなぁ」

唐突な少女の声は空中から聞こえた。高笑いしていた魔法士が目を丸くする。奴は恐る恐る更に上空を見上げた。
……うん。来てくれてたんだ? すまん、ティナ。とりあえず俺はゲドルフ捕獲しとく。
間の抜けた男の声が空から聞こえる。
「あ、れ、魔法士……?」
「魔法士のくせにアイテア信徒なんて珍しいですね。でも煩いから黙れ」
黒髪の少女(に見える女)は笑った。白い手を男に向けて差し伸べる。
よく晴れた空に響き渡る爆発音。俺は慌てて逃げていく子猫を追った。
あれ、相手は魔女だって警告しといた方がよかった? もう遅いか。
ともかくこれで俺の仕事は終了! 俺の力じゃないけど終了です! ありがとうございました!



「……というわけなんです」
「そうですか」
やる気ない相槌はティナのものだ。あいつは腕を組んで壁によりかかりながら、縛り上げられ床に座り込んだ魔法士を一瞥する。
その視線に男は「てへっ」って顔をしたが、いい年こいた中年男がそれやってもまったく可愛くないからな? むしろ殺意がわく。

ティナが捕まえた落書き犯―――― この男はどうやら南の国からの旅人らしい。
魔法士であることを隠してこの国に入国し、唯一神信仰を研究しながらあちこちを回っていたところ、泊まっていた宿で山賊に襲われたんだと。で、そこで魔法を使って撃退したら、むしろ村人に自分が追われる立場になったらしい。
「まぁ気持ちも分かるけどな。助けてやったのに殺されそうになるとか」
「そうでしょう、そうでしょう」
「そういう国なんですから仕方ないです。落書きしたってどうにもなりませんよ」
「でも腹立ちませんか? 貴女も魔法士なんでしょう。私はこの国の愚かさを人々に自覚させたい」
男の言葉をティナは無視して扉に向かった。そのまま適当に屋根をぶち破って入り込んだ納屋を出て行く。
うーん、なんか不機嫌そうだな。あいつはいつも不機嫌だけど、いつもとはまた違った不機嫌さ。これは触らない方がいいかもしれない。
扉が音もなく閉まると、男は俺の方に視線を動かした。
「怒らせてしまいましたか。彼女、かなりの魔法士なのでしょう? 無宗教の魔法士ということはトゥルダール近辺の出身ですか?」
「え。知らない」
トゥルダールって十数年前に滅んだ魔法大国だったか? 俺まだ子供だったからよく覚えてないな。第一俺、ティナの本名も知らないし。
けどとりあえず、あいつのことは関係ないだろ。さすがに部下もそろそろ追いついてくるだろうし。
俺は座っている男に歩み寄ると、短剣を抜いた。「ひいい」と喚くのを押さえて縄を切ってやる。
「ほら、さっさと逃げとけ。この国出ろ」
「……助けてくれるのですか?」
「普通の落書き魔なら鞭打ちくらいだろうけどな。魔法士だったら問答無用に死罪なんだよ。
 で、俺は一応あいつの同居人だからな。魔法士だからって理由で魔法士を殺すのは嫌だ」
代わりに俺は罰受けるだろうけどな!
でも、ここを曲げたら俺はティナと暮らす資格がなくなると思うんだよ。
あいつ、あんなんでも俺の家族みたいなもんだしな。
―――― うん、落書き消したらちょっとは罰軽くならないかな。なるといいな!



落書き魔は「ありがとうございます」と頭を下げて何処かに消え去った。よーし、もう戻ってくんなよ!
とりあえず部下集めて報告書書いて……ああ、ゲドルフに餌やんないと。
そんな風にやるべきことを並べて気を逸らしながら街の詰め所に戻った俺は、けどそこで壁の落書きが全て消え去ったって報告を聞いた。
逃げた男がやったのか、ティナがやったのか。どっちでもいいか。魔法のことはよく分からん。
でもおかげで城に戻った俺は、長い廊下を五百往復床磨きの刑で許されたのです!
わー、これくらいだと軽いって感じるようになった自分が嫌だ!