縫われた夜 15

禁転載

ノイディアは山と森に囲まれた国であり、切り拓かれた幾本の道を除いては中への出入りが困難とされている。
その為国内外を行き来するのは決められた街道を通る旅人や商人たちがほとんどであり、街道から離れた場所については他国にあまり知られていない。
そんなノイディアの地図をテーブルの上に広げられたルースは、好奇心を浮かべてそれを隅々まで見やった。地図を描き出した女の頭を撫でる。
「お前、面白い才能あるな」
「いいからちゃんと覚えて下さいね。ここがウィリディス城、こっちが現在封鎖されてる街道です」
今は封鎖されている街道は、国境の上で三叉路になり、南に向かう片方がランバルド、東に向かう片方がリサイへ延びている。
旅人や商人は常日頃、主にこの街道を使って国々を行き来しているのだが、ノイディアの王都も通るこの道は今や山の中ほどで検問が敷かれ、ルクサの指示により許可なき者の通行が禁じられているらしい。
それは国内から人を逃がさぬ為、また不安定な今の情勢を外に洩らさぬ為の処置なのであろうが、既に中の状態を知ってしまっている彼らにとってはさほどの意味を持ち得なかった。
リグは封鎖箇所の大分手前から南西へと枝分かれしている一本の道を示す。
「今回はこちらの道を使います。この先は南の山に直接伸びていて、途中の石門を越えて山を登ってしまえばその先に砦があります」
「そこが元々の目的地というわけか。駐留している軍は信用出来るのか?」
「出来ます。元々ここを任されている将軍は、陛下への忠誠が篤くアルタ・ディティアタとも懇意です。
 逆にルクサの思想には難色を示していたので、今回のことには協力的でしょう。
 今は一応王族が玉座にいますから、自分たちだけでは進んで動けないのでしょうが、私たちがいれば話は変わってきます」
「どう変わるんだ?」
「エナ」
リグに名を呼ばれて、少女は腰が浮き上がらんばかりに飛び上がった。動揺する彼女にリグは「持っているんでしょう?」と促す。
「あ、はい!」
彼女は懐から厳重に封印された封書を取り出した。それを受け取ったリグは封印の紋をルースに示す。
一つの円を外周として複雑に絡み合った枝の意匠。その中央には剣と女の横顔が重ねてあしらってあった。
「これはですね、政権の委任状なんです」
「は? そんなものが存在してるのか」
「してます。一応歴史的に由来があるんですが、割愛させてください。
 で、これは危急時用ですが、主権に何かがあった場合、主権者が代理人を指定するんです。
 大抵は王が他の王族か当代のアルタ・ディティアタを指名するんですが、今回指名されたのはアルタ・ディティアタの方です」
「つまりお前か」
「個人名は指定されていませんけどね」
ということはつまり、殺された彼女の父が本来の指名先だったということだろう。
王がいつ叛逆に気付いたかは分からぬが、彼はもしもの時のことを考えてアルタ・ディティアタに政権を託した。
しかしそのアルタ・ディティアタも襲われ、委任状は同じ称号を継ぐ娘へと巡り巡ってきたのだ。
「従来の制度であれば、これさえあれば玉座にいる人間を追うことが出来ます。
 ですがルクサもそれをさせまいと武力に訴えてくるでしょうし、彼に対してはあまり意味がありません。
 なのでこれはむしろ」
「中立の人間を動かす為、大義名分を得る為のものだというわけか」
「ご名答」
リグは封書を手の中でくるくる回すと「はい」とルースに差し出してきた。彼が首を傾げると「持っていてください」と付け足す。
「俺が持っていていいのか?」
「一番強い人間に渡しておいた方が安全でしょう。あとこれは私たちからの協力要請の意を示すものです」
彼女の言葉に、エナとタウトスの二人は姿勢を正す。それぞれの真剣な目がルースに集まった。
―――― 裏切らない。
そこにあるものは駆け引きというよりも強い真摯だ。国への思いが「アルタ・ディティアタ」を通じてルースへと向けられている。
彼らノイディアの人間は、ウィリディス城の協力を求める代わりに、ルースを北へ動かせない状況を作り出す。
その上で事態の鍵となる封書を預けることで覚悟と信を示し、彼からもそれを得ようといようのだ。



ヴァーノンは真剣な顔で地図に見入っていたが、枝分かれした道の先、石門を指差すとリグに問うた。
「ここの石門は開いているのですか?」
「ああ、壊れているんで開きっぱなしです。その代わりルクサが兵を置いていると思います」
「じゃあその兵を国境近くまで引っ張ってくればいいか。万が一動かなかったらその場で排除だ。あとで砦の兵に協力してもらおう」
現在リサイでは北部国境における争いが間断なく続き、悩みの種となっている。
そのような状況であるからして、仮に南西国境で戦闘が起きたとしても、王が余計な兵を派遣したくないと考えることは明らかだ。
国内南西部は何もない荒野が広がっているのだし、侵攻を受けてもすぐには痛手にならない。
まずはウィリディス城に全てを任せてしまおうとするだろう。
今回はそれを逆手にとるのだが、情報操作は勿論行うとしても、確実を期す為に「国境近くでノイディアとリサイの兵が争った」という事実が欲しい。
ルースは石門前後の山道を地図上でなぞる。
「これ、どれくらいの広さがあるんだ? 急な坂だと戦いにくいな」
「道は広いはずです。もともと行軍用に切り拓いたらしいですから。でも坂は坂ですね」
「迂回するにも森の中だと騎兵は移動できないからな。素直に兵数を多くして坂を上るか……。砲撃兵器があればいいんだが」
「王都に行けばあるはずですよ。ルクサも買ってましたし。これからのことを考えると無傷で手に入れたいですね」
リグの発言に、エナを除いた男たちが僅かに表情を動かす。
ノイディアとしては、政権を奪還し荒れた現状を回復出来れば、それで充分だ。
けれどルースにとってはそこで終わりではない。リグはその先まで考えているのだろう。ノイディアの人間として彼を支援しリサイの王と戦うことを。
一国が背後についているとなれば、王もルースに容易く手出しは出来なくなる。
そこまでを暗黙のうちに取引内に加えている女は、ルースの視線に気付くと目を丸くした。
「何ですか、その顔」
「いや……お前は本当に俺の女房だな」
「急に何を。そんなに口うるさいですか? 私」
「そうでもない。面白い」
ルースは憮然とする女を膝上に抱き上げたくなったが、他の人間の手前我慢した。変わりに小さな頭を豹にするように撫でる。
「さて、じゃあ後のことは砦の人間と話が出来るようになってからだな。早急に動くか」
締めくくる言葉に全員が立ち上がる。
夜が隅々までを浸す部屋。テーブルを照らす明かりが消される中で、月光だけが鮮やかに闇を切り分けて世界を照らし出していた。






既にリサイ側、ノイディア側の両方において先手を打たれている以上、反撃するには出来るだけ早く動かねばならない。
ルースは出立する隊商に情報の流布を依頼すると、側近たちやノイディアの人間を集め、一通りの事情と策を説明した。
他に選択肢がない状況で呈された案は、危険がまったくないわけではないが、成功する可能性も低くはない。
リサイの王都には、まるで侵攻してきたノイディア軍をルースが国境で食い止めているかのように思わせつつ、実際はその間にノイディアで王都を奪還する―――― 上手く行けばルースは隣国を同盟者として得、自国の王に圧される状況を脱することになるだろう。
この策には初めての他国での戦闘が絡むと知って、ウィリディス城の人間はある者は興味津々に、ある者は緊張を見せて、主人の話に聞き入る。
具体的な動員兵数や指揮官の任命も含めて会議が終わると、彼らはそれまでの数日が嘘のように生き生きと部屋を出て行った。
最後に残ったラノマは、窓辺に座ったままのリグを横目で見やると、ルースを手招きする。
「何だ? 何か気になることでもあるのか?」
「気になるっちゃなるんですが。殿下、彼女と結婚しませんか?」
「は?」
「だって彼女、これが上手くいったらノイディアの女王になるんでしょう?
 ちょうどいいじゃないですか。国がまず一つ手に入りますよ」
「お前……」
こんな時に何を考えているのか。ルースは呆れるあまりその場で座り込みたくなった。
リグは聞こえていないのか窓辺で欠伸をしている。
ルースは色々言いたいことを堪えて一つに絞ると、部下に返した。
「そういう場合じゃないだろ。大体あいつは本来神職だ。普通に夫が持てるかどうかも分からんだろ」
「でももう手つけちゃってるんでしょう? 今更手放せますか?」
「…………」
事実を指摘されて言い返せないのは腹立たしい。
ルースは楽しそうに笑いながら去って行くラノマを見送ると、窓辺を下りてきたリグに見上げられ微妙な表情になった。






ラノマに言われたからというわけではない。
ただ昼間の会話が頭の片隅に残っていたことは確かだ。
ルースは月光に映える女の白い背中を見下ろし、顔を顰める。横に流れた黒髪の間に指を滑らせ、それをそっと引いた。
「何ですか?」
「いや。……エナとか言ったか? あの娘、お前の言うことなら素直に聞くんだな」
せいぜい十五歳ほどに見える彼女は第一印象の通り気が強く、特にラノマなどとは相性が悪いようだが、リグの前ではまったくの従順に変わる。
それがルースの目には面白く映るのだが、言われたリグは軽い声を立てて笑うと体を起こした。
「エナは私の『ディア』ですから。繋がりが強いんですよ」
「ディア?」
それはアルタ・ディティアタと同様聞き覚えのない単語である。聞き返すルースにリグは微笑んだ。
「何て説明したら分かりやすいですかね。
 アルタ・ディティアタになる可能性のある人間には、子供の頃からディアと呼ばれる補佐がつくんですよ。
 血が近い人間の中から、同性で年が近い相手を選んで魔法で繋ぐんです。私の場合はそれがエナですね」
リグは上半身を起こすと掛布を胸元に引き寄せる。
他国の珍しい習慣に、ルースは感心の息をついた。
「それは面白いことをするな……。繋がっていると何か分かるのか?」
「そうですね。まず生死とか、大体どっちの方角にいるか、とかが分かります。
 後は強すぎる感情とかも届きますし、魔法の媒介にも出来ますよ」
「便利そうだな」
「一長一短です。あんまり私が怒ったりするとエナにも伝わってしまいますから」
苦笑するリグにルースは口付ける。
そう言われてみれば、何の力もない少女に見えるにもかかわらず、政権委任状を預けられていたことを彼は不思議に思っていたのだ。
だがあの少女が今のアルタ・ディティアタ、シェライーデと強い繋がりを持つ人間であるならそれも頷ける。
彼らはずっと行方不明になっているシェライーデを見つけたかったに違いない。この城でそれが叶ったのは僥倖であろう。
「ルース」
柔らかな呼びかけ。
夜が明ければ、彼らはこの城を出立する。ノイディアの人間を連れて山を登り、砦へと向かうのだ。
最後かもしれぬ平穏の夜に、ルースは恋人の体を引き寄せると膝の上に乗せた。頼りない肉体を腕の中に捕らえる。
「リグ、……いや、シェライーデ」
「はい」
「お前、俺の妻にならないか?」
唐突な求婚の言葉は、それでも口にしてしまえばあるべきことのように馴染んだ。ルースは彼女の体を背後から抱き締める。
楽な立場ではない。むしろお互い窮地に立たされていると言っていい。
だが、だからこそ彼女の手を取って共に在ることが必要であるように思えるのだ。ずっとそうして影が寄り添っていたように。
国が欲しいわけではない。後ろ盾を求めたわけではない。
ただ、危険を冒してでもこうして時間と精神と温かさを分かち合いたいと願う。これから先も、叶うなら死ぬまで。
「刺客からは必ず守る。魔術にも解き方があるなら手は尽くすし、別に無理なら豹のままでいい。
 多分苦労はかけるだろうが……それでもいいなら俺の隣にいないか?」
「ルース……」
彼女の声は震えて聞こえた。
男は表情の見えない女の頭に顎を乗せる。
「国のことがあるだろうから無理にとは言わないけどな。
 形式がなくても構わないぞ。お前がいれば充分だ」
―――― 愛情を交わして、触れ合って、それがあれば満たされる。女王の夫という立場が欲しいわけではない。
そう告げる男に、彼女は少しだけ沈黙した。細い肩が小さく揺れる。
海の底にいるにも似た静寂。そこに全てが在るわけではない。ルースはそのまま目を閉じた。
自分と、もう一人だけを感覚する闇。腕の中の女が身を捩る感触が伝わってくる。
「ルース」
名を呼ぶと同時に彼女は飛びついてきた。ルースが目を開けると、リグは黒い眸に涙を浮かべて男を見上げている。
嬉しそうな、それでいて淋しそうな笑顔。いつかも何処かで見た眼差しが彼を貫く。
「ルース、私、とても幸せです。今が幸せ」
「シェライーデ」
「ずっとここにいたい。こうしていたい」
首に回された両腕。それは彼からすればあまりにもか細く、けれど強い力が込められている。
体を離してしまうことを恐れているかのように、彼女は男を全身でしっかりと抱いた。
折れそうな躰を支え、ルースは彼女の望みに応える。
「いつでも戻ってこられる。何処に行っても。だから大丈夫だ」
別の国に行こうとも、別たれることがあってもそれが終わりではないだろう。
手を伸ばせば取ることが出来るはずだ。いつだって二人はそうしてきた。



月は動かない。
空に縫いとめられて、変わらず彼らを照らしている。
シェライーデは深く息を吸い込んだ。
埋められた貌。清み切って遠い声が、無音の雷光のように夜を照らす。
「どうか覚えていてください、ルース。私はとても幸せ。貴方といる時、幸福を感じている。
 だから―――― 」
言葉はそこで切られた。
時が断たれたかのような空白。
彼女はゆっくりと体を離すと、曇りのない微笑で男を見つめる。
「ずっとずっと愛しています」
そうしてシェライーデは、もう一度ルースの胸に顔を寄せると、笑顔のまま涙の伝う睫毛を伏せた。