王の器 18

禁転載

現在ノイディア王都を封鎖しているルクサの兵は、約三万強と見積もられている。
それは彼自身が所有する私兵の数に、彼に与した将軍数人の指揮下の人数を足して算出されているのだが、南部砦が擁している兵力は約五万とそれを上回る。
実際王都の兵力を全てかきあつめれば、南部砦の兵数をゆうに越えることは可能であるのだが、王都はまだルクサの支配が隅々まで行き渡っているわけではないらしい。彼に反発して投獄された将軍や大臣も多く、残る兵は状況が分からないまま、また圧力をかけられたまま、ルクサ指揮下の将たちに頭を押さえられ動けずにいるのだという。

「だから王都を解放出来れば、それらの兵も動かせるというわけなんだな」
ルースは書類から顔を上げると部下たちを見回し苦笑した。
ノイディア国内の街道、森に面した場所で馬ごと集まっている彼らはもう一度地図を確認する。
王都奪還の援護をする為、ウィリディス城を出立した彼らが街道途中で行軍を止めているのは、何も迷子になったからではない。
森の中を切り拓いて作られた広い街道、その行く先が現在普通には通れない状況になっている為だ。
ラノマは最初から地図も見ずに不満げな顔をしていたが、場の話が一段落すると今まで何度も口にした本音を吐き捨てる。
「まったく砲撃兵器ってやつはえげつなくて、オレは嫌いだね」
「気持ちは分かるが、何とかしないと駄目だろ」
街道を王都に向かって上っていた彼らが、初めて敵と遭遇した地点は、検問が置かれていたという場所の近くだ。
おそらくは石門での戦闘から情報を得て用心していたのだろう。ノイディアの騎馬兵が行く手に現れ、軽い戦闘になったのだ。
ルースはその場では敵軍を危なげなく押し返したのだが、どうも敗走する敵の様子を見るだに何かを誘っているとしか思えない。
だが避けようにも街道はあいにく一本道である。森の中に踏み込むことも出来ぬウィリディス軍はあえてその誘いに乗って前進し―――― その先に並べられた砲撃兵器を見つけたのだ。
騎馬兵は機動力によって歩兵よりも砲撃兵器に対応しやすいが、それも広い場所での話である。
両側が森である山道、しかも真っ直ぐに伸びた道で遠距離射程の武器に攻撃されれば、さすがにひとたまりもない。
その時は用心して前進していた為、被害は出さずに済んだが、このままでは王都に向かうことは出来ないだろう。
軍を一時後退させたルースは、面倒そうな表情で地図を畳むと、それをヴァーノンへと手渡した。
「あれはいくら馬術を駆使しても避けられんだろうな。仮に全てを避けて砲撃兵器に到達しても、その後ろには騎馬兵がいる」
「弓で砲手を狙い撃てませんかね」
「向こうの方が射程が長い。対砲撃用の砲撃兵器があればいいんだろうが……まぁ、ないな。持ってない」
「もう突っ込みますか? 多少死人が出ても誰かは砲手を殺せるでしょう」
「いや」
乱暴ではあるが一理はある提案に、だがルースは首を振る。
今回の出陣は本来他国の問題であり、そして彼自身の問題なのだ。
ウィリディス城の人間にとっては、ルースが城を去れば自分たちの生活も危うくなるかもしれないのだから、戦闘に参加することにも意味がある。
だが彼らには元々「城を出て別の居場所を探す」という、より安全な選択肢もあったはずなのだ。
それをあえてついて来てくれたのは、ルースを信頼してのことであろう。彼はそんな部下たちを徒に犠牲にする策は取りたくなかった。
しかし、かといっていつまでもここで足止めをされているわけにはいかない。
ルースは少し考えると、斥候に敵の布陣を確認した。
「砲撃兵器の他はほとんど敵も騎兵なんだったな?」
「そのようで。数はおおよそ二百程です」
「こちらを射程内に誘い込むには歩兵は使いにくいだろうからな。―――― だが、それならちょっとした小細工も出来る」
彼は軽く決定を下すと、部下たちに策を明かし準備をさせる。
そうして再度攻撃を仕掛けたルースは、今度は問題なく敵を排除し、前進することに成功したのだ。






ルースがウィリディス城から連れて来た騎兵は、約二千騎弱である。
それは城の最大兵力ではないが、ノイディアに遠征している間、家を空っぽにしておくわけにもいかない。
実際補給の問題もあって動かせるのは現状これが限界であるのだが、彼はその人数を最大限に発揮してノイディアの王都に近づきつつあった。
街道が山を一つ越えた先、比較的なだらかな斜面で野営をしながら、ルースはノイディア本隊からの連絡を確認する。
「ルクサの本隊とまもなく衝突するようだな。その間こちらが王都をつくか敵の後背を取るかは状況次第だが」
「砲撃兵器でも撃ってみますか? 使い方なら分かりますよ」
「砲弾が勿体無いからやめとけ」
現実的な返答を受けて、シェライーデはくすくすと笑った。焚き火の前に座している彼女は、高価な兵器を手に入れた顛末を振り返る。
「意外と用心していないものなんですね。ウィリディス城の軍は騎兵ばかりだという先入観があるからでしょうか」
「用心すべきだとは思うんだがな。他にやりようがない」
あの時森に区切られた戦場内で砲撃兵器に狙われた彼は、軍の一部を馬から下ろすと森の中を密かに迂回させたのだ。
敵は騎兵であるから斜面となっている森には入ってこないはずだと思っていたルクサの兵は、そうして横合いの森へ回りこんできた敵兵によって砲手をことごとく射殺された。そして砲撃兵器が動かせなくなった隙に、ルースは本隊を迅速に動かすと、街道を封鎖していた軍を排してしまったのである。
戦利品として砲撃兵器をほぼ無傷で手に入れた彼は、しかし運搬が大変なそれらの扱いを若干もてあまし気味である。
非常に重量のある兵器をいくつも引いていては行軍速度が落ちてしまうのだ。
しかしシェライーデは彼の表情でそれを察したのか地図上の一点を指差してきた。
現在地からさほど遠くない場所はどうやら王都東の集落のようである。
「ここまで持っていって、とりあえずここに置いておくといいですよ」
「何だここは。村か?」
「私の一族が住んでいる領地です」
恋人が微笑して答えるとルースは軽い驚きを覚えた。
シェライーデの一族の領地―― それはつまり神職に関係する者たちが住んでいる土地であるのだろう。
詳しい情報を要求する視線に彼女は話を補足する。
「アルタ・ディティアタ自身は王都に住んでますが、一族はほとんどこちらなんです。
 ただやはり今回の政変で襲撃を受けてまして、今も軍が駐留してるんじゃないでしょうか。
 で、ここには古い地下牢獄があるんですけど、そこに王都で捕らえられた人間たちの一部が投獄されたらしいんですよ」
「古い牢獄って昔は何に使われてたんだ?」
「そこは聞かないで下さい」
視線を逸らした女にルースは冷たい目を投げかけてみたが、今回の話にはさして関係ない。肝心なのは現在のことであろう。
彼は火の中に乾いた小枝を投げ込んだ。小さく爆ぜる音がして紅い飛沫が夜空に上がる。
「王都で捕らえられた人間の中に、どんな人間がいるか聞いたか?」
「聞きましたよ。有名な将軍が一人います。陛下と兄弟のように育った方で、軍への影響力も強いです」
シェライーデの言う「陛下」は現在玉座にいる男を指していない。ルースは彼女の意図を理解して笑った。
「ならその牢獄をまず解放しよう。お前の言う将軍が王都に残る兵を動かしてくれれば、大分楽になる」
「よろしくお願いします」
彼女と話が出来るのは夜の間だけである。
ルースは他にも気になる点を確認してしまうと、まとめた話を部下たちに伝えるよう命じ、一息ついた。
傍にいる女はじっと焚き火を見つめたままである。赤い火に照らされた女の顔は、普段の青白さとはまた違って作り物のように見えた。
ルースは時間を確認すると彼女に気遣う声をかける。
「シェライーデ、眠いなら寝てろ」
「眠いわけではないんですが」
「ならこっち来てろ。ノイディアは寒い」
既に山を一つ越えたとあって、荒野とは気温も大分違う。
兵たちの中には酒を飲んで暖を取るものも多く、ルースはそれらを踏まえて補給の手配をしなおしたばかりだった。
シェライーデは子供のように笑い出すと男の後ろに回ってその背に抱きつく。
「何で後ろなんだ?」
「だって前は火があるじゃないですか。背中寒いでしょう?」
「確かに肌寒かったが……おかしな感じだ。大きな子供を背負ってるみたいに思える」
「私が寝ちゃったらずるずる引き摺って行って下さい」
「そんな態勢で寝るな」
注意はしてみたが、彼女はどく気がないらしい。
ルースは諦めてシェライーデごと厚布を羽織ると、やがて眠ってしまった彼女を隣に置いて束の間の休息を取ったのだった。






新たに目的地となった領地は、薄い林に囲まれたこじんまりとした町だった。
元は初代のアルタ・ディティアタとなった男がここに館を構え、彼を慕う人間たちが集まって出来たのがはじまりだったらしい。後にその力をもって国の危機を救い神職の称号を与えられた男について、シェライーデは「貴方と似てますね」と笑ったが、ルースは肩を竦めただけである。
集落には外敵に対する為、というより捕らえた者たちを見張る為に、ルクサの軍が配置されていたが、ルースはそれを問題なくくだすと支配されていた領地を解放した。まもなく部下を伴って、町の中に足を踏み入れた彼は、予想通りの惨状を目の当たりにして苦いものを覚える。
打ち壊され、焼き捨てられた何十軒もの家。
かろうじて建物の体裁を残している家の窓からは、顔に痣を作った子供たちが目に怯えを宿して、新しくやって来た騎馬兵たちを見ていた。
ルースは先行して町の中を偵察して来た部下から地下牢獄の場所を聞くと、代わりに別件の手配を命じてそこを訪れる。
彼の背後に座る黒豹は、悲しげな闇色の目で辺りを見回していたが、はぐれることなく牢獄内までルースについてきた。
暗く湿った石造りの牢獄。その一部屋一部屋に閉じ込められた人間たちを、ルースは名と素性の確認後、解き放っていく。
そうして自由を得た人間のうちの一人、顔に大きな古傷を持った初老の男は、名を名乗った彼の前に立つとにやりと不敵な笑みを見せた。
「やれやれ。生きてまた外に出られるとは思わなかった。礼を言おう」
「あなたが王都の将軍だったという方か?」
「そうだったこともある。今はただの無力な老人だよ。ルクサがここまでするとは思わず不覚を取った」
おどけて返す男の目は、だが鋭さを失っていない。
むしろ強い悔恨と覇気が見て取れ、ルースはこの老将軍がまだ充分に現役であることを知った。
かねてから決めてあった通り、彼は初老の男に向かって手を差し出す。
「なら牢を出たばかりで恐縮だが、手を借りたい。王都を取り戻すには人手がいる」
「面白いことを言うな、リサイの王弟よ。私がまだ役に立てると思うのか?」
「勿論思っている。王都に残る戦力を動かすにはその力が必要だ」
きっぱりと言い切ると、老将は目を丸くし、次に声を上げて笑い出した。厚い掌でルースの手を取ると力強く握り返す。
「分かった。元よりこの身は国の為のものだ。出来るだけのことはさせてもらう」
「よろしく頼む」
ルースが自分の隣を見ると、黒豹は透きとおった目で彼を見上げていた。その頭をぽんぽんと叩くと彼は暗い地下牢獄から地上へ戻る。
彼が牢獄内にいる間に、命じていた手配は既に終わったらしい。部下の一人が「怪我人と病人への応急処置を始めている」旨報告してきた。
建物の外に出て連れ添う豹の尻尾を引っ張っていた彼は、真顔に戻ると頷く。
「そうか、ご苦労。……ああ、食料が略奪されてるようだったら糧食から数日分を配給するようにしておいてくれ。
 こちらは補給が安定しているし多少は調整がきく」
その言葉に驚きの顔を見せたのはノイディアの老将の方だ。
ルースの性格に慣れきっている部下は笑いながら、しかし了承ではなく別件の報告を口にする。
「その件ですが、殿下にご挨拶したい人間が来ておりまして……」
「ん?」
「わたくしでございます、殿下」
兵の背後から現れたのは、先日ルースにルクサの情報を売った隊商の長である。ルースは意外な顔を意外な場所で見たことで目を丸くした。
「王都に行かなかったのか?」
「参りました。きちんと商売させて頂きましたよ、殿下から頂いた仕事を含めまして。
 ただこのままリサイを通り過ぎてしまっては、商売の機を逃してしまうと思いまして、色々買い込んで引き返して参りました。
 食料や薬など一通りのものは揃えてまいりましたが、お買い上げ頂くことは出来ますでしょうか」
商売人としての笑顔、しかし悪戯っぽい目を見せる長に、ルースは理解を得ると堪えきれず笑い出した。
確かに糧食には余裕があり補給経路も整ってはいるが、所詮応急の措置だ。
町の復旧にはもっと多くの物資が必要であろう。その点、長の申し出は非常にありがたい。
「分かった。全て貰おう。代金は城に戻った後でもいいか? 砲で払ってもいいならちょうどいくつかあるが」
「砲は確かに充分過ぎる値になりますが、それはご自身の為にとっておかれて下さい。
 代金は勿論後で構いませぬ。あなた様には信用がございますから」
そう言うと男は売却品の目録と金額をあわせて記した紙をルースに差し出した。
彼がその内容に目を通すと、本来よりも大分安い金額がそこには記されている。ルースは怪訝な顔になった。
「計算が間違っていないか? これではほとんど仕入れ値と変わらんだろう」
「いえ、これであっております、殿下。
 これはわたくしがあなた様に品物をお売りする取引でもございますが、わたくしが将来の利を買う取引でもあるのですよ。
 もしあなた様が一国の主となりましたら、この二倍の金額をわたくしどもにお支払い頂きたい。
 この条件で買って頂けますでしょうか?」
「何だそれは……ラノマに何か吹き込まれたか?」
まさか部下以外からこのようなことを焚き付けられるとは思わなかった。
思い切り苦笑するルースに、長は変わらず笑顔を向けている。
「わたくしどもも商売柄あちこちを行き来しておりますが、よき王がいる国ほど民の売り買いも気前がいい。
 ですからそのような国が増えればいいと、思っているだけのことでございます」
「俺にそんなことを言われてもな。損をするかもしれないぞ」
「これでもわたくし、目利きには自信がございます」
そこまで買われてむず痒いものがないではなかったが、今回の好意は願ってもない話である。
ルースは「十年経っても今のままだったら通常の売値を払うからな」と付け足して、それらの品物を買い取った。

少しずつ落ちていく日。解放されたとようやく分かったのか、家の戸口からおそるおそる幼い子供とその母親が顔を覗かせている。
黒い豹が気になるのか、しきりにルースの方を窺う子供に、彼は気づくと笑って手招きした。
薄汚れた服を着た子供はそれを見ると、母親の手をすり抜け外に出てくる。
「これが気になるのか? この大きな猫が」
「きになる」
「触ってもいいぞ。引っかかないから」
そう言われてもなかなか手を出せない男の子に豹は自分からすりついた。後を追ってきた母親が顔を強張らせて子供を抱き取ろうと手を伸ばす。
しかし彼女の心配とは別に、子供は黒い豹が気に入ったらしい。目を輝かせて艶やかな背を撫でた。
ルースはくるくると回り出す一匹と一人を見下ろしていたが、視線を転じるとやせ細った母親に問う。
「食べ物は配給させるから取りに行くといい。他に足りないものはないか?」
「あ……出来れば包帯を少し……」
「多分あると思う。ないなら用意させよう。薬も必要なら持っていけ」
「あ、ありがとうございます」
深く頭を下げた母親は、一向に豹から離れようとしない息子の手を取ると、しきりに礼を言って通りの向こうに消えた。
残されたルースに、先程からずっと近くにいた老将軍の声がかかる。
「リサイの王弟よ。あなたの周りにどうして人が集まるのか、私にも少し分かった気がする」
しみじみとした声は、新たなものに驚いているようにも、過去りし時を懐かしんでいるようにも聞こえた。
ルースは「甘い」と謗られ得る自身の性質をそのように言われて、いささかの苦笑を見せる。
「別に変わったことをしているつもりはないんだがな」
「人の上にある者が当然のことをし続けるということは、存外難しい。
 何故アルタ・ディティアタがあなたを選んだのか分かったよ」
老将軍はそれだけを言うと踵を返した。体を休めるつもりなのか夕闇の中に消えていく。
林の切れ目から吹きつけてくる風は冷たくはあったが清新なものであった。それは淀んだ町の空気をゆっくりと押し流していく。
「シェライーデ、行くか。もう日が落ちる」
歩き出す男に影は無言で寄り添う。
静謐に包まれる夕べ。
それはノイディアの王都が解放される一週間前のことであった。