憧憬の

禁転載

彼の話を初めて聞いたのは、いつのことだったろう。
その時自分が何歳であったか、何をしているところだったか、シェライーデは覚えていない。
ただ荒野の城に住む青年の話はひどく新鮮で、それまで何もないと思っていた砂だらけの地に、新たな色を落とした。
緑のない景色。風のやまない不毛の土地。
けれどそこで生きる彼に、いつか会ってみたいと彼女は願っていた。

施術の終わりは、いつも気だるさが全身を支配している。
魔術を使い城の結界を補強した少女は、王たちが神殿を出て行くまで、静粛に祭壇に立ち続けていた。
だが神聖さを思わせる立ち振る舞いも、一族のものに労われながら着替えの部屋に戻った時、一変する。
シェライーデは慌しく着替えると、裏口から出て自分の馬に飛び乗った。城の裏道を脇目も振らず駆けていく。
若くして神職の座にある彼女に、自由になる時間はそう多くは与えられない。
だが施術の後はいつも体を休ませる為に、その後半日は空きが出来ることが通例だった。
シェライーデは風を切って誰も見ぬ森の付近まで来ると、転移術を使う為詠唱を始める。
だがその時、半ば予期していた男の声が彼女を留めた。
「アルタ・ディティアタ、どちらへ」
「……タウトス」
彼女の護衛でもあるこの男は、いつも何処にでも彼女を追ってくる。
今も馬に乗り彼女を追ってきたのであろう武官を、シェライーデは溜息と共に振り返った。
「何処へでもいいでしょう? 少し息抜きしてくるだけだから」
「ならば私もお供しましょう」
予想通りの言葉に少女は肩を落としつつ、詠唱を再開する。
この術は彼女の知らぬ場所まではつれていけない。だからいつも国境近くに出るのが精一杯だ。
だがタウトスはそれを知っていても、見張らざるを得ないのだろう。彼は、彼女が荒野の城に行ってみたいと思っていることを知っていた。

国境へと続く坂道は、今は他に人影もない。
シェライーデは目の前に広がる荒野に人馬の影を見つけ、息を詰めた。
一度も会ったことのない、だが会いたいと思っている男。
もしかしたら彼がそこにいるのかもしれない。シェライーデはじっと遠い影を見つめた。
神職である彼女はこの国境を越えることは出来ない。
だがもしも、彼がここまで来てくれたのなら――――

来て欲しい、と願う。
ここに来て、見て、触れて欲しい。話をしたいのだ。ずっと語りたいことがあった。
他愛もない山のような話題の数々が、今でも留まることなく。
だから、どうか。



けれどシェライーデの願いは、今日も叶えられなかった。
見回りに来た彼らは馬首を返し、荒野の城へ帰っていく。少女は深く息を吐いて目を閉じた。
せめて夢の中で会えればいいと思った。






「シェライーデ?」
優しい声。髪の中に差し込まれる指に、彼女は目を開けた。
心配そうに覗き込んでくる男を、シェライーデはうつ伏せになったまま見上げる。
ルースは顔色の悪い恋人を見て、その頭を撫でた。
「どうした? 具合が悪いのなら眠っていていいぞ」
「いいえ」
伸ばした指が、彼の顔に触れる。
この手が届くところに、今彼はいるのだ。ずっと願っていたことが叶った。
だからシェライーデは幸福に微笑んで彼を抱く。顔を寄せ、そっと男の瞼に口付けた。